ハワイ・レッドソックスで活動していたが、1956年に南海ホークスに入団し来日。1957年まで在籍したが、あまり出場機会は無かった[注 1][1]。
退団後は、ハワイ・レッドソックスに再び所属していた。
田中義雄の薦めにより[1]、1959年に再び来日し大阪タイガースに入団。今度は出場機会が増え、1960年には61試合に出場した。しかし、翌1961年に退団しハワイに戻った。
守備は良かったが、打撃に難があった。
捕手では珍しく、南海時代は11番、阪神時代は18番という、日本プロ野球では主にエース格の投手の着用が慣習となっている背番号を着用していた(エースナンバーの項目を参照)。