蘇子河
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流路
歴史
乾隆年間に編纂された『欽定盛京通志』巻25「山川一」には以下のような説明がみられる。
蘇子河、城北半里、源出呼倫嶺。國語名蘇克素護河。流經尼瑪蘭[2]、及與章京[3]、瑪嘉[4]、哈當阿[5]、拉發[6]等諸河會、即爲蘇子河。逸啟運山[7]之南西、注受哈爾薩河[8]、理嘉河[9]、索勒和[10]等河、北折經黒門穆奇水手堡、又北經界藩西南、入渾河。河之南曰訥圖村、拉門莊。又南曰棟興阿、李家地大屯。
蘇子河流域は歴史上的に建州女真の居住地で、中流域 (現永陵鎮) には清朝太祖ヌルハチの居城へトゥアラが位置したことから、同地は清朝発祥の地とされる (後に興京と呼ばれた)。そのほか下流域 (古楼村) には河川名に肖って命名されたスクスフ・ビラ部[11]が位置する。スクスフ・ビラ部には、ヌルハチが明軍を大敗させたサルフの戦の戦場であるサルフ城のほか、ヌルハチの祖父ギョチャンガと父タクシが横死したグレ城、またギョチャンガらを死に逐い遣り、ヌルハチから不倶戴天の仇敵といわれたニカン・ワイランの居城トゥルン城[12]も同一帯に位置する。


