蘇我石川
日本神話の人物
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系譜
記録
『日本書紀』応神天皇3年是歳条によると、百済の辰斯王が天皇に礼を失したので、石川宿禰は紀角宿禰・羽田矢代宿禰・木菟宿禰とともに遣わされ、その無礼を責めた。これに対して百済は辰斯王を殺して謝罪した。そして紀角宿禰らは阿花王を立てて帰国したという。
『古事記』では事績に関する記載はない。
また『日本三代実録』元慶元年(877年)12月27日条では、石川朝臣木村の奏言のうちとして、宗我石川は河内国石川(現・大阪府富田林市の東半と南河内郡一帯)の別業に生まれ、これにより「石川」を名とし、さらに宗我(現・奈良県橿原市曽我町)の大家を賜り居としたので「宗我宿禰」が賜姓されたという[2]。
『紀氏家牒』によると、履中天皇、反正天皇、允恭天皇、安康天皇、雄略天皇の5人に仕えたという。[3]。また、大和国高市県蘇我里に邸宅があり、それが「蘇我」の由来であるとされる[4]。