蘇我満智
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履中天皇2年、平群木菟宿禰や円大使主、物部伊莒弗と共に執政官となったとされるが、これは蘇我氏の氏族伝承などに基づき後から書き加えられたものである可能性が高い[1]。
『古語拾遺』によれば、雄略天皇代、増大する諸国からの貢物に対応すべく、新たに大蔵が興され、麻智が三蔵(斎蔵・内蔵・大蔵)を管理したという(三蔵検校)。この伝承は蘇我氏が5世紀後半には既に朝廷財政を統括していた史実を伝えている。
当時の蘇我氏が王権のクラや財政と関係していたことは、『古事記』に見える宗賀之倉王(そがのくらのみこ、『日本書紀』では倉皇子)の存在からも推察できる[1]。
あるいは、『古語拾遺』に見える蘇我麻智の伝承は、蔵関係の伝承を語ることから、6・7世紀における蘇我氏の朝廷のクラ管掌という史実を遡らせ、蘇我氏の中でもクラを管掌した蘇我倉氏や、その末裔である石川氏によって作られた伝承であり、秦氏や蘇我倉山田石川麻呂(蘇我倉氏)の家伝に基づいて造作された可能性も指摘されている[2]。
