蜂屋定頼 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代 - 江戸時代初期生誕 永禄2年(1559年)死没 寛永6年(1629年)別名 七兵衛 凡例蜂屋 定頼時代 戦国時代 - 江戸時代初期生誕 永禄2年(1559年)死没 寛永6年(1629年)別名 七兵衛戒名 宗栄幕府 江戸幕府主君 徳川家康、秀忠氏族 蜂屋氏父母 蜂屋定近兄弟 定頼、定則、正次、政春妻 四宮内蔵助の娘子 定共、定氏、堀利政室、布施重直室、長田吉広室、定吉、定吉室テンプレートを表示 蜂屋 定頼(はちや さだより)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。徳川家康の家臣。 父の代から徳川家康に仕える。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いに従軍し、長久手合戦では永井直勝・安藤直次らとともに池田恒興の首級を戦い、自身は恒興の家臣を討ち取った。天正19年(1591年)相模鎌倉郡内に400石。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いに従軍。戦後、与力10騎と同心20人を預けられ、相模高座郡・愛甲郡内に300石と300俵の加増を受ける。その後は徳川秀忠の配下となった。 寛永6年(1629年)ころに死去したが、その時には長男定共は死去しており、次男定氏は刃傷事件を起こして逐電していた。そのため次女の子にあたる定吉(布施氏)に長女の娘(堀氏)を娶らせて家督を継承させた。 参考文献 「寛政重修諸家譜」巻第295 Related Articles