裏松良光
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文久元年12月3日(1862年1月2日)元服して昇殿を許され従五位上に叙せられ筑前権介に任じられた[4]。中務権少輔、兼中宮権大進などを歴任し、明治2年8月22日(1869年9月27日)侍従に就任[2][4]。明治5年1月14日(1872年2月22日)依願免本官となりドイツ帝国へ留学[2][4][5]。1874年3月に官費留学生に帰国命令が出されたが、自費留学が認められ、1875年(明治8年)10月31日に帰国した[4][5]。祖父裏松恭光の死去に伴い、明治5年2月12日(1872年3月20日)家督を相続[1][3][4]。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[6]。
1876年(明治9年)3月4日、陸軍歩兵少尉に任官し陸軍戸山学校附となる[2][4]。以後、名古屋鎮台歩兵第6連隊小隊長、東京鎮台歩兵第2連隊小隊長、同歩兵第3連隊小隊長、歩兵第17連隊中隊長、歩兵第32連隊中隊長などを歴任[2]。1898年(明治31年)4月1日、歩兵少佐に昇進と同時に後備役に編入された[7]。