西山春成
江戸・明治時代の医師
From Wikipedia, the free encyclopedia
生涯
文化11年(1814年)3月美濃国可児郡久々利村(岐阜県可児市久々利)に千村家臣安在祐景の次男として生まれた[1]。西山玄道養女とみと結婚し、西山家を継いだ[2]。
天保4年(1833年)名古屋に出て、義兄伊藤圭介に西洋医学・種痘法を学び、天保7年(1836年)9月久々利村に戻り、千村家侍医を務めた[2]。慶応2年(1866年)5月次男西山謙之助に次いで三男多喜三郎と共に平田鉄胤に入門した[2]。
明治維新後も久々利村で医業を続け、明治初年岐阜県が行った管内医師の試問では条対第一とされた[1]。明治12年(1879年)7月土岐郡日吉村にコレラ被疑患者が発生すると、御嵩避病院に予備委員として召喚され、対応に当たった[3]。
晩年は私塾を営み、書画・国風・絃歌・俗曲を嗜み、しばしば宴会で披露した[1]。明治28年(1895年)4月30日病床で狂歌を唱えて息を引き取った[1]。