西山正己
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関西高校1年まで投手で、捕手に転向した2年時に山陽大会で優勝した。
卒業後は軟式の三共製薬でプレーしていたが、1959年に読売ジャイアンツが捕手難解消のために実施した捕手練習生のテストに志願し、合格して1960年に入団した。
入団後はブルペン捕手を務めていたが、1963年には7月に父を亡くしたこともあり、同年限りで現役を引退した。
引退後は帰郷して家業を継いでいたが、26歳からプロゴルファーに転向した[1]。
1973年の美津濃トーナメントでは榎本七郎・金本章生・石井富男に次ぐ6位[2]、1975年の同大会では内田繁・草壁政治に次ぐと同時に野口英雄・林慎一と並んでの4位タイ[3]に入った。
1982年には地元岡山で開催された三菱ギャランにマンデートーナメントから出場し[1]、初日には安田春雄と共にコースレコードの7アンダー64をマークして首位タイでスタートする[4]。7バーディー、ボギーなしで、プロ入り17年目にして初めてのトーナメントリーダーとなった[1]。2日目には75と崩れ、139で青木功らと共に10位タイに後退した[5]。
シニア転向後の1988年には第一生命カップで優勝し[6]、1989年の中四国オープン[7]を最後にレギュラーツアーから引退した。
詳細情報
主な優勝
- 1988年 - 第一生命カップ