西山正己

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生誕 (1939-08-15) 1939年8月15日(86歳)
国籍 日本の旗 日本
西山 正己
Masami NISHIYAMA
基本情報
生誕 (1939-08-15) 1939年8月15日(86歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県都窪郡妹尾町(現在の岡山市南区
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西山 正巳
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県都窪郡妹尾町(現在の岡山市南区
生年月日 (1939-08-15) 1939年8月15日(86歳)
身長
体重
168 cm
65 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1960年
初出場 1961年
最終出場 1962年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

西山 正己(にしやま まさみ、1939年8月15日 - )は、岡山県都窪郡妹尾町(現在の岡山市南区)出身の元プロ野球選手捕手)、プロゴルファー

関西高校1年まで投手で、捕手に転向した2年時に山陽大会で優勝した。

卒業後は軟式三共製薬でプレーしていたが、1959年読売ジャイアンツが捕手難解消のために実施した捕手練習生のテストに志願し、合格して1960年に入団した。

入団後はブルペン捕手を務めていたが、1963年には7月に父を亡くしたこともあり、同年限りで現役を引退した。

引退後は帰郷して家業を継いでいたが、26歳からプロゴルファーに転向した[1]

1973年美津濃トーナメントでは榎本七郎金本章生石井富男に次ぐ6位[2]1975年の同大会では内田繁草壁政治に次ぐと同時に野口英雄林慎一と並んでの4位タイ[3]に入った。

1982年には地元岡山で開催された三菱ギャランにマンデートーナメントから出場し[1]、初日には安田春雄と共にコースレコードの7アンダー64をマークして首位タイでスタートする[4]。7バーディー、ボギーなしで、プロ入り17年目にして初めてのトーナメントリーダーとなった[1]。2日目には75と崩れ、139で青木功らと共に10位タイに後退した[5]

シニア転向後の1988年には第一生命カップで優勝し[6]1989年中四国オープン[7]を最後にレギュラーツアーから引退した。

一時はRSK山陽放送「岡山オープン」解説者[8]を務め、現在は倉本昌弘と共に中四国プロゴルフ会顧問を務める[9]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1961 巨人 9441000000000003000.000.000.000.000
1962 1819191610071000000031.316.316.368.684
通算:2年 2723231610071000000061.261.261.304.565

背番号

  • 57 (1960年 - 1963年)

主な優勝

  • 1988年 - 第一生命カップ

脚注

関連項目

外部リンク

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