西山芳園
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大坂元町周辺で、有力木綿問屋の二人兄弟の次男として生まれる。しかし、家が破産したため三井の呉服商か糸店で丁稚奉公にあがる。そこで絵を描いていると、番頭からその道を薦められ中村芳中に弟子入りする。芳中は自分より良い師をつければ大成すると考え、京都の大家・松村景文に自ら紹介の労を取る。芳園はこの恩を忘れないようにするため、芳中から1字を貰い芳園と号す。ただ、画風に芳中の影響は全くと言っていいほど見られない。しかし、景文についたのは僅かな間、かつ月に1度の通い弟子で、更に実際に指導したのは兄弟子の横山清暉だったともされる。
その後も大坂で活躍、清和温順・幽雅軽淡な筆致で人気を集めた。非常な健筆で、半切2,3枚は日課のように描き、潤筆料はわずか金1分だったという。絹本よりも紙本の作品が多く、渇筆を用いた上品さに独特の風合いがあり、渇筆の良さが出やすい紙本のほうに傑作が多いとされる。晩年は浮世小路に住んだ。慶応3年(1867年)没、享年64。戒名は芳園仁觀義察信士。墓所は大阪市北区東寺町(現与力町)の善導寺。弟子に息子の西山完瑛、菅其翠、久保田桃水、逸見塘雨、五渡亭国升など。