西春別駅
かつて北海道野付郡別海町にあった北海道旅客鉄道の駅
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歴史
標茶 - 中標津間の鉄道建設に際し、西春別を経由するよう、別海村(当時)が周辺地域の農業生産物の生産状況資料、約1000人の住民の署名を付して鉄道大臣・道知事あてに請願したことによって設置が実現した経緯がある[3]。

- 1936年(昭和11年)10月29日:鉄道省計根別線標茶駅 - 計根別駅間開通に伴い開業[4][5]。一般駅[1]。
- 1937年(昭和12年)10月30日:計根別駅 - 中標津駅 - 根室標津駅間の延伸に伴い、計根別線に標津線(初代)が編入され、標津線(2代)の駅となる[6][7]。
- 1980年(昭和55年)4月30日:貨物の取り扱いを廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物の取り扱いを廃止[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR北海道に継承[1]。
- 1989年(平成元年)4月30日:標津線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
駅構造
貨物及び荷物取り扱い廃止までは、島式ホーム1面2線と、さらに駅舎側に貨物積降線1本、及び外側に中標津側から引き入れた行き止まりの留置線1本を有する列車行き違い可能駅であった[9]。駅舎は構内の東側(標茶方面に向かって左側)の中標津寄りにあって地面に直接建てられ、駅舎正面とホームの中標津側端が、線路上を横断する形で連絡していた[9]。駅舎横の標茶寄りにはホーム状の貨物積降場が設けられていたが、これは当駅が最寄りの陸上自衛隊矢臼別演習場向けの特大貨物(戦車・大砲)用の設備であった[10]。貨物及び荷物取り扱い廃止後に駅舎側の貨物積降線が撤去された。
廃止時点では、島式ホーム1面2線及び留置線1本を有する列車行き違い可能駅であった。
初期には駅裏側にも貨物積降場が置かれ、1939年(昭和14年)から1949年(昭和24年)にかけて標茶町虹別へと向かう殖民軌道虹別線の停車場が置かれていた。
また駅表側の貨物積降場から少し離れた街の一角に、1936年(昭和11年)から1952年(昭和27年)にかけて別海町上春別春日へと向かう殖民軌道西別線の新西春別という名前の停車場が置かれていた。
さらに戦時中の1944年(昭和19年)頃から終戦まで、駅の西方にある旧陸軍計根別第4飛行場の建設及び補給物資運搬用の目的で、駅の北側(中標津側)から軍事用引き込み線が分岐していた。
利用状況
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
| 年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| 年間 | 1日平均 | |||
| 1978年(昭和53年) | 213 | [10] | ||
