西村優希
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父親とのキャッチボールをきっかけに、小学3年生のときに遠軽東イースターズで野球を始める。遠軽町立遠軽中学校では野球部に所属した[1]。
地元の北海道遠軽高等学校に進学すると、硬式野球部では1年秋からベンチ入りし、エースになる。2年夏は北見支部予選を勝ち上がり、北北海道予選大会の決勝・白樺学園まで進むが、先発投手が打ち込まれ、西村の登板後も更に差を広げられてしまい、1対9に敗れ、甲子園出場を逃した。3年夏も北北海道予選大会までは進むが、1回戦で敗退[1]。
3年時に2007年ドラフト会議で読売ジャイアンツから育成2巡目で指名を受ける[2]。
巨人には、3年間在籍するが一軍出場や支配下選手登録は叶わずに2010年オフに退団。
退団後には、社会人野球の強豪・西濃運輸に入社。しかし、肘に違和感を抱え、2011年12月にトミー・ジョン手術を受ける。西村の入団に関わった後藤寿彦の監督退任を受けて、自身も退部を決意し、2012年7月に退社した[1]。
西濃運輸をわずか1年あまりで退社後は、地元・北海道に戻り、2012年7月には、設計や不動産業を営む、株式会社ecoaハウス(通称:神出設計エコアハウス)に入社[3]。社業では、気密測定士や玉掛けの資格を取得し、賃貸・不動産部のシニアリーダーを経て[3]、課長を務めている。
同社の軟式野球部に所属して野球を継続しており、2020年の天皇賜杯第75回全日本軟式野球大会(ENEOSトーナメント)では、1回戦の対北陸ガス戦で先発し、7回途中無失点の好投で勝利をあげている[4]。2023年をもって野球部から退いた[5]。
また、同社軟式野球部のメンバーの何名かは雪合戦チームの「でぃくさんズ神出」にも所属しており、西村も参加していたことがある。加入時には既にチームが出来上がっており、大きな体格が不利に働くこともあって、元プロ野球選手でありながら西村は補欠に回らざるを得なかったという[5]。2015年開催の昭和新山雪合戦世界大会では2連覇を達成している[3]。
選手としての特徴・人物
詳細情報
年度別投手成績
- 一軍公式戦出場なし
背番号
- 103(2008年 - 2010年)