覚憲 From Wikipedia, the free encyclopedia 尊称 宝積院僧正・壺坂僧正宗派 法相宗寺院 興福寺・壺坂寺師 蔵俊覚憲 天承元年 - 建暦2年12月17日(1131年 - 1213年1月10日(新暦))尊称 宝積院僧正・壺坂僧正宗派 法相宗寺院 興福寺・壺坂寺師 蔵俊弟子 貞慶著作 三国伝燈記・因明抄ほかテンプレートを表示 覚憲(かくけん)は、鎌倉時代初期の法相宗の僧。父は藤原通憲(信西)。宝積院僧正・壺坂僧正とも称される。 興福寺に入り蔵俊に師事して法相・唯識を学び、藤原頼長から将来を嘱望された。平治の乱の後、父に連座し伊豆国(一説によれば伊予国)に配流となったが、安元元年(1175年)には奈良大安寺の別当に任じられた。その後、治承4年(1180年)に興福寺権別当、文治5年(1189年)に同寺別当に任じられ、興福寺の復興に努めた。建久元年(1190年)、権僧正となったが、建久6年(1195年)には壺坂寺に隠棲した。唯識論の注釈に大きな功績を残した。特に因明に造詣が深かったことで知られ、『因明抄』など多くの著作がある。 なお、『興福寺奏状』を起草した解脱上人貞慶は覚憲の門弟であり、甥にあたる。 著書 『三国伝燈記』(1173年) この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。表示編集 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。表示編集 典拠管理データベース VIAF Related Articles