元亀2年(1571年)、京都の豪商・角倉了以の長男として誕生。母は吉田栄可の娘。
儒学を藤原惺窩に、書を本阿弥光悦に学び、書道の角倉流を創設、能書家としても近世五人の一人に挙げられている[1]。父・了以の跡を継いで貿易業や土木事業にも携わる。晩年、活版業を志すも、寛永4年(1627年)癩(らい)[2]に倒れ、家業を子に譲って嵯峨野へ隠居。その後、光悦門下の俵屋宗達の協力を得て、古活字の嵯峨本(角倉本)を刊行した。また、茶の湯を古田織部に学んでいる。
寛永9年(1632年)、死去。享年62。本墓は遺言により一族の墓所がある二尊院でなく、化野念仏寺に置かれた(二尊院にも墓所はある)。
昭和6年(1931年)、正五位を追贈された[3]。