解婁 From Wikipedia, the free encyclopedia ハングル: 해 루漢字: 解 婁発音: ヘ ル日本語読み: かい ろう解婁各種表記ハングル: 해 루漢字: 解 婁発音: ヘ ル日本語読み: かい ろうローマ字: Hae Ruテンプレートを表示 解 婁(かい ろう、ヘ ル、朝: 해루、紀元前55年 - 紀元後34年[1])は、百済の家臣。百済の開国功臣10名中の一人で、大姓八族中の一つである解氏出身の家臣として『三国史記』「百済本紀」の中で初めて登場する人物である。 もとは夫余人[2][1][3][4][5]。百済5部の北部に属していた[4][5]。温祚王41年(23年)春正月、右輔の職位を授かっていた乙音が亡くなると、79歳で右輔の地位に昇った[4][5]。彼は、識見が神のように極めて深く、齢70を超えても力が充実していたので、王は彼を登用した[4][5]。温祚王が亡くなり、多婁王が即位した後も右輔の職位に留まり、多婁王7年である34年、90歳を一期に亡くなる[6][7]が、その時まで11年の間、宰相職を遂行していたことになる。右輔の後任には東部に属する屹于が充てられた[6][7]。 脚注 1 2 “해루 解婁,BC 55~AC 34”. 斗山世界大百科事典. https://www.doopedia.co.kr/doopedia/master/master.do?_method=view&MAS_IDX=101013000942234 2022年10月4日閲覧。 ↑ “해루(解婁)”. 韓国民族文化大百科事典. http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Item/E0062569 2022年10月4日閲覧。 ↑ “41년 1월 북부의 해루를 우보에 임명하다(0023년 01월 (음))”. 国史編纂委員会. オリジナルの2022年11月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20221122124310/https://db.history.go.kr/id/sg_023r_0020_0580 1 2 3 4 金富軾 著、井上秀雄 訳『三国史記』 第2巻、平凡社〈東洋文庫425〉、1983年、282頁。ISBN 4-582-80425-X。 1 2 3 4 (中国語) 『三国史記』巻二十三・「百済本紀」一・百済始祖温祚王四十一年春正月, ウィキソースより閲覧。 1 2 金富軾 著、井上秀雄 訳『三国史記』 第2巻、平凡社〈東洋文庫425〉、1983年、284頁。ISBN 4-582-80425-X。 1 2 (中国語) 『三国史記』巻二十三・「百済本紀」一・多婁王七年春二月, ウィキソースより閲覧。 Related Articles