記録長官

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記録長官[4](きろくちょうかん、Master of the Rolls、正式名称:Keeper or Master of the Rolls and Records of the Chancery of England)は、イングランドおよびウェールズ控訴院民事部の主席、および民事司法評議会英語版の議長。イングランドおよびウェールズにおける裁判官として、首席裁判官英語版に次ぐ序列2位である[5]

指名裁判官選考委員会英語版
任命選考委員会の推薦に基づき首相大法官君主に推薦し、君主が任命する[1]
任期終身在職、ただし70歳定年[2]
創設1286年9月2日
概要 イングランドおよびウェールズ 記録長官, 指名 ...
イングランドおよびウェールズ
記録長官
現職者
サー・ジェフェリー・ヴォス英語版

就任日 2021年1月11日
指名裁判官選考委員会英語版
任命選考委員会の推薦に基づき首相大法官君主に推薦し、君主が任命する[1]
任期終身在職、ただし70歳定年[2]
創設1286年9月2日
初代ジョン・ラングトン英語版
敬称The Right Honourable英語版
俸給£279,051(2024年時点)[3]
ウェブサイトCourts and Tribunals Judiciary
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現職は2021年1月11日に就任したサー・ジェフェリー・ヴォス英語版である[6]

解説

起源

記録長官は遅くともエドワード1世の治世中の1286年までには設立された役職であるが、それ以前にも存在した役職ともいわれている[7][8]

記録長官は大法官府裁判所英語版の記録(原語はRolls、すなわち「巻物」である)を管理する書記として始まり、大法官府記録管理人(Keeper of the Rolls of Chancery)として知られていた[9]。大法官府には複数人の書記がおり、そのうち首席にあたる人物が記録長官だったため、国璽尚書を代行することもあった[10]

記録に関する職務

元ユダヤ教徒改宗教会英語版ロンドンウェストミンスターの間に広大な地所を所有していたが、1290年にイングランドからユダヤ人が追放されると、記録長官は元ユダヤ教徒改宗教会の監事(warden)を兼任することになり、建物自体もロールズ・オフィス(Rolls Office、記録事務所)またはロールズ・チャペル(Rolls Chapel、記録礼拝堂)として知られるようになった[11]。多くの事務がこの地所で行われるようになったため、法曹界が周辺に集まって法曹院が成立したほか、ロールズ・エステート(Rolls Estate、記録地所)自体も実質的に法曹院の1つとされた[11]。事務所のほか、ロールズ・オフィスには法的文書の保管所としての一面もあり、1838年には文書の範囲が大法官府から政府全体に拡大し、パブリック・レコード・オフィス英語版へと発展した[11]。この兼任は20世紀まで続き、1958年公文書法英語版によりパブリック・レコード・オフィスに関する職務が大法官に移された[11]。同様の理由により、記録長官は英国記録協会英語版(1932年設立[12])会長を兼任し、これは1958年公文書法が成立した後、21世紀初の時点でも続いた[13]

かつては事務弁護士の登録も職務の一部だったが[14]、2024年現在では事務弁護士規制委員会英語版に移行している[15]

裁判官としての職務

大法官府裁判所の整備とともに記録長官にも裁判官としての職務が加わった。その起源は不明であるものの、1433年までには大法官の不在中にその裁判官としての職務を代行する事例がみられるようになった[11]。また1520年には記録長官の司法に関する職務への言及がみられた[16]。16世紀にはトマス・クロムウェル(在任:1534–1540年)といった、大法官の職務を一度も代行せず、記録長官を法律への知識がなくても務められる閑職として扱う人物も存在したが、17世紀以降は裁判官としての地位が高まり、1623年より大法官の副官としての地位が確立され、1729年に記録長官が正式に大法官府裁判所の裁判官の1人になった[11]。それでも大法官より下位とされたが、1833年にはそれも解消され、19世紀半ばには実質的に大法官府裁判所の首席裁判官になっていた[11]

1873年裁判所法英語版により裁判制度が改革され、大法官府裁判所がほかの裁判所とともに高等法院に統合されると、記録長官は高等法院大法官府部と控訴院に所属するようになったが[8]、1881年裁判所法により大法官府部から離れ、控訴院に専念するようになった[17]。記録長官は現代でも控訴院の裁判官の1人であり、控訴院民事部の部長を兼任する[18]

一覧

さらに見る 肖像, 人物 ...
肖像 人物 任期 他の役職 脚注
ジョン・ラングトン英語版1286年9月2日1295年10月1日大法官 (1292–1302, 1307–1310)[19][20]
アダム・オズゴッドビー英語版1295年10月1日1316年8月19日
[19]
ウィリアム・エアミン英語版1316年8月19日1324年5月26日
[19]
リチャード・ド・エアミン英語版1324年5月26日1325年7月4日
[19]
ヘンリー・ド・クリフ英語版1325年7月4日1334年1月20日
[19]
マイケル・ラース1334年1月20日1337年4月28日
[19]
ジョン・ド・セント・ポール英語版1337年4月28日1341年1月10日ダブリン大司教 (1349–1362)、アイルランド大法官 (1350–1356)[21][22]
トマス・イヴシャム1341年1月10日1341年2月21日
[21]
ジョン・オブ・ソアーズビー英語版1341年2月21日1346年7月2日
[21]
デイヴィッド・ウォロア1346年7月2日1371年3月28日
[21]
ウィリアム・バーストール1371年3月28日1381年9月8日
[21]
ジョン・ド・ウォルサム英語版1381年9月8日1386年10月24日王璽尚書 (1386–1389)、大法官 (1349–1356)[21][23]
ジョン・バートン1386年10月24日1394年7月22日
[21]
ジョン・スカール英語版1394年7月22日1397年9月11日大法官 (1399–1401)[21][24]
トマス・スタンリー1397年9月11日1402年9月24日
[21]
ニコラス・バブウィズ英語版1402年9月24日1405年3月2日王璽尚書 (1405–1406)、大蔵卿 (1407–1408)[25][26]
ジョン・ウェイカーリング英語版1405年3月2日1415年6月3日王璽尚書 (1415–1416)[25][27]
サイモン・ゴーントシード1415年6月3日1423年10月28日
[25]
ジョン・フランク1423年10月28日1438年11月13日
[25]
ジョン・ストッピンドン1438年11月13日1447年3月29日
[25]
ジョン・カークビー英語版1447年3月29日1461年12月23日
[25]
ロバート・カークハム1461年12月23日1471年2月12日
[25]
ウィリアム・モーランド1471年2月12日1471年4月29日
[25]
ジョン・アルコック英語版1471年4月29日1472年3月16日大法官 (1475, 1485–1487)[25][28]
ジョン・モートン英語版1472年3月16日1479年1月9日大法官 (1487–1500)、カンタベリー大司教 (1486–1500)[25][29]
ロバート・モートン英語版1479年1月9日1483年9月22日
[30]
トマス・バロー英語版1483年9月22日1485年8月22日
[30]
ロバート・モートン英語版(ウィリアム・エリオットと共同就任)1485年8月22日1487年2月26日1485年11月13日より共同就任[30][31]
デイヴィッド・ウィリアム1487年2月26日1492年5月5日
[30]
ジョン・ブライス英語版1492年5月5日1494年2月13日
[30]
ウィリアム・ウォーラム英語版1494年2月13日1502年2月1日国璽尚書 (1502–1504)、大法官 (1504–1515)、カンタベリー大司教 (1503–1532)[30][32]
ウィリアム・バロンズ英語版1502年2月1日1504年11月13日
[30]
クリストファー・ベインブリッジ英語版1504年11月13日1508年1月22日ヨーク大司教 (1508–1514)[30][33]
ジョン・ヤング英語版1508年1月22日1516年5月12日
[34]
カスバート・タンストール英語版1516年5月12日1522年10月20日王璽尚書 (1523–1530)[34][35]
ジョン・クラーク英語版1522年10月20日1523年10月9日
[34]
トマス・ハンニバル英語版1523年10月9日1527年6月26日
[34]
ジョン・テイラー英語版1527年6月26日1534年10月8日ダービー大助祭 (1516–1533)、バッキンガム大助祭 (1516–1534)[34][36]
トマス・クロムウェル1534年10月8日1536年7月10日国王秘書長官 (1533–1536)、王璽尚書 (1536–1540)[34][37]
サー・クリストファー・ヘイルズ英語版1536年7月10日1541年7月1日法務次官 (1525–1529)、法務長官 (1529–1536)[34][38]
サー・ロバート・サウスウェル英語版1541年7月1日1550年12月13日
[34]
ジョン・ボーモント英語版1550年12月13日1552年6月18日
[34]
サー・ロバート・ボーズ英語版1552年6月18日1553年9月18日
[34]
サー・ニコラス・ヘア英語版1553年9月18日1557年11月5日庶民院議長 (1539–1540)[39][40]
サー・ウィリアム・コーデル英語版1557年11月5日1581年5月30日法務次官 (1553–1557)、庶民院議長 (1558)[39][41]
サー・ギルバート・ジェラード英語版1581年5月30日1594年4月10日法務長官 (1559–1581)[39][42]
初代エルズミア男爵トマス・エジャートン1594年4月10日1603年5月18日法務次官 (1581–1592)、法務長官 (1592–1594)、大法官 (1596–1617)、第一大蔵卿 (1613–1614)[39][43]
初代キンロス卿エドワード・ブルース1603年5月18日1611年1月14日
[39]
サー・エドワード・フェリップス英語版1611年1月14日1614年9月1日庶民院議長 (1603–1611)[39][44]
サー・ジュリアス・シーザー英語版1614年9月1日1636年4月18日財務大臣 (1606–1614)[39]
サー・ダドリー・ディッグス英語版1636年4月18日1639年3月30日
[39]
サー・チャールズ・シーザー英語版1639年3月30日1643年1月28日
[39]
初代カルペパー男爵ジョン・カルペパー英語版王党派1643年1月28日1660年11月3日財務大臣 (1642–1643)[39][45]
サー・ウィリアム・レンソール英語版議会派1643年11月10日1659年5月14日庶民院議長 (1640–1647, 1647–1653, 1654–1655, 1659–1660)[46][47]
第2代準男爵サー・ハーボトル・グリムストン英語版1660年11月3日1685年1月12日庶民院議長 (1660)[46][48]
サー・ジョン・チャーチル英語版1685年1月12日1685年10月20日法務長官 (1673–1685)[46][49]
サー・ジョン・トレヴァー英語版1685年10月20日1689年3月13日
[46]
サー・ヘンリー・ポウル英語版1689年3月13日1693年1月13日庶民院議長 (1689)[46][50]
サー・ジョン・トレヴァー英語版1693年1月13日1717年5月20日庶民院議長 (1685–1687, 1689–1695)[46][51]
サー・ジョセフ・ジキル英語版1717年7月13日1738年8月19日
[46]
サー・ジョン・ヴァーニー英語版1738年10月9日1741年8月5日
[46]
サー・ウィリアム・フォーテスキュー英語版1741年11月5日1749年12月16日
[46]
サー・ジョン・ストレンジ英語版1750年1月11日1754年5月18日法務次官 (1737–1742)[46][52]
サー・トマス・クラーク英語版1754年5月29日1764年11月13日
[53]
サー・トマス・セウェル英語版1764年12月4日1784年3月6日
[53]
サー・ロイド・ケニオン英語版1784年3月30日1788年6月7日法務長官 (1782–1783, 1783–1784)、王座裁判所主席裁判官 (1788–1802)[53][54]
サー・リチャード・アーデン英語版1788年6月14日1801年5月23日法務次官 (1782–1783, 1783–1784)、法務長官 (1784–1788)、民訴裁判所主席裁判官 (1801–1804)[53][55]
サー・ウィリアム・グラント英語版1801年5月27日1817年12月31日法務次官 (1799–1801)[53][56]
サー・トマス・プラマー英語版1818年1月6日1824年3月24日法務次官 (1807–1812)、法務長官 (1812–1813)[53][57]
初代ギフォード男爵ロバート・ギフォード1824年4月5日1826年9月4日法務次官 (1817–1819)、法務長官 (1819–1824)、民訴裁判所主席裁判官 (1824)[53][58]
サー・ジョン・コプリー英語版1826年9月14日1827年5月1日法務次官 (1819–1824)、法務長官 (1824–1826)、大法官 (1827–1830, 1834–1835, 1841–1846)[53][59]
サー・ジョン・リーチ英語版1827年5月3日1834年9月14日イングランド副大法官英語版 (1818–1827)[53][60]
サー・チャールズ・ペピス英語版1834年9月29日1836年1月19日法務次官 (1834)、大法官 (1836–1841, 1846–1850)[53][61]
初代ラングデイル男爵ヘンリー・ビッカーステス英語版1836年1月19日1851年3月28日
[62]
サー・ジョン・ロミリー英語版(1865年12月よりロミリー男爵[63]1851年3月28日1873年8月29日法務次官 (1848)、法務長官 (1850)[62]
サー・ジョージ・ジェッセル英語版1873年8月30日1883年3月21日法務次官 (1871–1873)[62][64]
サー・ウィリアム・ブレット英語版
(1885年7月よりイーシャー男爵[65]
1883年4月3日1897年10月18日法務次官 (1868)[62][66]
サー・ナサニエル・リンドリー英語版1897年10月25日1900年5月10日
[62][67]
サー・リチャード・ウェブスター英語版1900年5月10日1900年10月22日首席裁判官英語版 (1900–1913)[68][62][69]
サー・アーチボルド・レヴィン・スミス英語版1900年10月23日1901年10月19日
[62]
サー・リチャード・コリンズ英語版1901年10月19日1907年3月6日
[62][70]
サー・ハーバート・コーゼンス=ハーディー英語版(1914年7月よりコーゼンス=ハーディー男爵[71]1907年3月6日1918年4月30日
[62]
サー・チャールズ・スウィンフェン・イーディ英語版1918年5月2日1919年10月20日
[62]
初代スターンデイル男爵ウィリアム・ピックフォード英語版1919年10月31日1923年8月17日検認・離婚・海事部長官英語版 (1918–1919)[72][73]
サー・アーネスト・ポロック英語版(1926年2月よりハンワース男爵[74]1923年10月12日1935年10月7日法務次官 (1919–1922)、法務長官 (1922)[72][75]
ライト男爵ロバート・ライト英語版1935年10月7日1937年4月27日
[72]
サー・ウィルフリッド・グリーン英語版(1941年7月よりグリーン男爵[76]1937年4月27日1949年6月1日
[72]
サー・レイモンド・エヴァーシェッド英語版(1956年1月よりエヴァーシェッド男爵[77]1949年6月1日1962年4月19日
[72]
デニング男爵トム・デニング英語版1962年4月19日1982年9月29日
[72]
サー・ジョン・ドナルドソン英語版(1988年2月よりリミントンのドナルドソン男爵[78]1982年9月30日1992年10月1日
[72]
サー・トム・ビンガム英語版1992年10月1日1996年6月4日首席裁判官英語版 (1996–2000)[68]先任常任上訴貴族 (2000–2008)[79][80]
ウルフ男爵ハリー・ウルフ英語版1996年6月4日2000年6月6日首席裁判官英語版 (2000–2005)[68][80][81]
ワース・マルトレイヴァースのフィリップス男爵ニック・フィリップス英語版2000年6月6日2005年10月3日首席裁判官英語版 (2005–2008)[68]最高裁判所長官英語版 (2009–2012)[82][81][83]
サー・トニー・クラーク英語版
(2009年5月よりストーン=カム=エボニーのクラーク男爵[84]
2005年10月3日2009年9月30日最高裁判所裁判官英語版 (2009–2017)[82][83][85]
アボッツベリーのニューバーガー男爵デイヴィッド・ニューバーガー英語版2009年10月1日2012年9月30日最高裁判所長官英語版 (2012–2017)[85][82]
ダイソン卿ジョン・ダイソン英語版2012年10月1日2016年10月2日最高裁判所裁判官英語版 (2010–2012)[1][5]
サー・テレンス・エザートン英語版(2020年12月よりエザートン男爵[86] 2016年10月3日 2021年1月10日 高等法院法官英語版 (2013–2016) [5][6]
サー・ジェフェリー・ヴォス英語版 2021年1月11日 現職 高等法院法官英語版 (2016–2021) [6][87]
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記録長官が叙された爵位

さらに見る 記録長官, 爵位 ...
記録長官爵位創設日現状記録長官以外の官職脚注
トマス・クロムウェル エセックス伯爵 1540年4月18日 1540年6月29日剥奪 国王秘書長官王璽尚書 [37]
クロムウェル男爵 1536年7月8日
サー・トマス・エジャートン ブラックリー子爵 1616年11月7日 1829年2月11日廃絶 大法官 [88]
エルズミア男爵 1603年7月21日
サー・エドワード・ブルース キンロス卿 1602年2月2日 現存 なし [89][90]
サー・ジョン・カルペパー英語版 カルペパー男爵英語版 1644年10月21日 1725年6月15日廃絶 財務大臣 [91]
サー・ロイド・ケニオン英語版 ケニオン男爵英語版 1788年6月9日 現存 王座裁判所主席裁判官 [92][93]
サー・リチャード・アーデン英語版 アルヴァンリー男爵英語版 1801年5月22日 1857年6月24日廃絶 民訴裁判所主席裁判官 [94]
サー・ロバート・ギフォード ギフォード男爵英語版 1824年1月30日 現存 民訴裁判所主席裁判官 [95][96]
サー・ジョン・コプリー英語版 リンドハースト男爵 1827年4月25日 1863年10月12日廃絶 大法官 [97]
財務裁判所主席裁判官
サー・チャールズ・ペピス英語版 コッテナム伯爵 1850年6月11日 現存 大法官 [98][99]
コッテナム男爵 1836年1月20日
サー・ヘンリー・ビッカーステス英語版 ラングデイル男爵英語版 1836年1月23日 1851年4月18日廃絶 なし [100]
サー・ジョン・ロミリー英語版 ロミリー男爵英語版 1866年1月3日 1983年6月29日廃絶 なし [101][102]
サー・ウィリアム・ブレット英語版 イーシャー子爵 1897年11月11日 現存 なし [65][103][104]
イーシャー男爵 1885年7月24日
サー・ナサニエル・リンドリー英語版 リンドリー男爵(常任上訴貴族 1900年5月10日 1921年12月9日廃絶 なし [105]
サー・リチャード・ウェブスター英語版 アルヴァーストン子爵 1913年11月24日 1915年12月15日廃絶 首席裁判官英語版 [106]
アルヴァーストン男爵 1900年6月18日
サー・リチャード・コリンズ英語版 コリンズ男爵(常任上訴貴族 1907年3月6日 1911年1月3日廃絶 なし [107]
サー・ハーバート・コーゼンス=ハーディー英語版 コーゼンス=ハーディー男爵英語版 1914年7月1日 1975年9月11日廃絶 なし [71][108]
サー・チャールズ・スウィンフェン・イーディ英語版 スウィンフェン男爵 1919年11月1日 現存 なし [109][110]
サー・ウィリアム・ピックフォード英語版 スターンデイル男爵 1918年11月14日 1923年8月17日廃絶 なし [111]
サー・アーネスト・ポロック英語版 ハンワース子爵 1936年1月17日 現存 なし [112][113]
ハンワース男爵 1926年1月28日
サー・ロバート・ライト英語版 ライト男爵(常任上訴貴族 1932年4月11日 1964年6月27日廃絶 なし [114][115]
サー・ウィルフリッド・グリーン英語版 グリーン男爵 1941年7月16日 1952年4月16日廃絶 なし [116]
サー・レイモンド・エヴァーシェッド英語版 エヴァーシェッド男爵 1956年1月20日 1966年10月3日廃絶 なし [117]
サー・トム・デニング英語版 デニング男爵(常任上訴貴族 1957年4月24日 1999年3月5日廃絶 なし [118][119]
サー・ジョン・ドナルドソン英語版 リミントンのドナルドソン男爵(一代貴族 1988年2月15日 2005年8月31日廃絶 なし [78][120]
サー・トム・ビンガム英語版 コーンヒルのビンガム男爵(常任上訴貴族 1996年6月4日 2010年9月11日廃絶 首席裁判官英語版 [121][122]
サー・ハリー・ウルフ英語版 ウルフ男爵(常任上訴貴族 1992年10月1日 現存 首席裁判官英語版[123] [124]
サー・ニック・フィリップス英語版 ワース・マルトレイヴァースのフィリップス男爵(常任上訴貴族 1999年1月12日 現存 最高裁判所長官英語版[125] [126]
首席裁判官英語版[83]
サー・トニー・クラーク英語版 ストーン=カム=エボニーのクラーク男爵(一代貴族 2009年5月29日 現存 なし [84]
サー・デイヴィッド・ニューバーガー英語版 アボッツベリーのニューバーガー男爵(常任上訴貴族 2007年1月11日 現存 最高裁判所長官英語版[127] [128]
サー・テレンス・エザートン英語版 エザートン男爵(一代貴族 2020年12月23日 現存 高等法院法官英語版[129] [86]
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ギャラリー

出典

参考文献

関連項目

Related Articles

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