諸井四郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
中山道で最大の宿場町であった本庄宿(明治22年より児玉郡本庄町)の出身。東諸井家10代目当主である諸井泉衛(1830-1885)[2]は五男二女を授かり、四朗はその四男として生まれた。1900年(明治33年)に東京帝国大学を卒業し、京釜鉄道会社に入社。会計課長となるが、鉄道の国有化にともない退社する(1908年)。東亜製粉会社を組織し社長に就任するも、1925年(大正14年)日本製粉会社と合併してこの会社は消失。その後、西武鉄道会社、秩父鉄道会社、東京毛織会社の取締役を兼務した。1933年(昭和8年)には日本煉瓦製造会社の専務取締役となり、兄である恒平の没後に同会長に就任。85歳で没し、埼玉県の安養院に葬られた。