謝六逸
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謝六逸は、貴州省貴陽に生まれた。名は光燊(こうしん、Guāngshēn)で、六逸は字[1]。官費留学生として日本にわたり、1919年に早稲田大学政治経済科に入学した。谷崎精二に学んだという[2]。1922年に卒業後、帰国して上海の商務印書館に勤務した。同年、文学研究会の機関誌である『小説月報』に「西洋小説発達史」を連載している[3]。1925年に『万葉集』の歌を選んで翻訳したものを『文学週報』に発表した。これは中国で最初に『万葉集』の翻訳を公刊したものであった[4]。
1926年に復旦大学の新聞学部を創立し、その主任をつとめた[5]。
日中戦争がはじまると故郷の貴州に戻った。1945年に貴陽で病死した。