各宿場町では、参勤交代や公用の人や物を運ぶために人馬を常備する必要があったが、これを助けるために近隣の村々が助郷に指定された。谷貝宿は関宿藩領であったにもかかわらず、嘉永5年(1852年)に幕府勘定奉行所に定助郷を願い出て、幕領・旗本領の11ヵ村を18年間にわたって定助郷とすることを認められた。沓掛村本村および内野山分、弓田村、崎房村、馬立村、鴻野山村、古間木村、太田村、沼森村、粟野村、粟野新田である。ただし翌年には、これらの村は谷貝宿に隣接する逆井村と請負契約を結び、実際には逆井村が有償で人馬を負担した。[6]