豆盧瑑

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豆盧 瑑(とうろ てん、生年不詳 - 881年)は、唐代官僚政治家は希真[1]本貫河中府河東県

豆盧籍の子として生まれた。豆盧願(芮国公豆盧欽望の子の芮国公豆盧霊昭の子)の曾孫にあたる。大中13年(859年)、進士に及第した。咸通末年、兵部員外郎に累進し、戸部郎中知制誥に転じた。翰林学士をつとめ、正式に中書舎人に任じられた。乾符年間、戸部侍郎・翰林学士承旨に累進した。乾符6年(879年)、兵部侍郎・同中書門下平章事(宰相)となった。大風雷雨で樹木が抜ける災異があり、のちの禍を予見したとされる。広明元年12月(881年1月)、黄巣の反乱軍が長安に侵入すると、豆盧瑑は僖宗に従って開遠門を出ようとしたが、反乱兵に阻まれた。張直方の家に匿われたが、事が漏れて殺害された[2][1]

脚注

伝記資料

参考文献

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