豊京は灃河の西岸に位置する。周の文王が豊京を造営して周原から遷都した。武王が灃河東岸の鎬京に遷都した。
客省荘に14基以上の版築基壇が確認され、この付近に宮殿区が想定されている。
また張家坡で1000基にのぼる西周時代の墓が発掘されている。なかでも周王の重臣の葬られた井叔一族の墓が注目される。井叔一族の墓で最大の157号墓は、墓室と南北の墓道からなり、全体の長さは35.4mに達した。墓室中央の槨室には内外二重の棺が置かれていた。外棺には黒漆が、内棺には赤漆が塗られていた。被葬者は四十数歳の男性とみられる。163号墓からは「井叔鐘」が、170号墓からは「井叔方彝」が、152号墓からは「井叔鼎」が出土している。井叔鐘には「井叔采、朕の文祖穆公の大鐘を作る」からはじまる7行39字の銘文があった。井叔方彝には「井叔、旅彝を作る」の銘文があった。