黒田基樹によれば、秀長長女は天正15年(1587年)あるいは天正16年の生まれとされ、同16年には妹のお菊が誕生しているため、長女の生年は天正15年と推定される[出典無効]。母については、秀長の側室である光秀尼(筒井家家臣・秋篠氏の娘)と推測されている。
天正19年(1591年)、秀長の病状悪化により、わずか4-5歳であった長女は、養嗣子の豊臣秀保(当時13歳)と祝言を行った。これは秀長の死が迫る中、家督継承を円滑に進めるための仮の婚儀であり、正式な婚礼は文禄3年(1594年)3月、秀長長女が8歳の時に関白豊臣秀次や小早川秀秋(豊臣秀俊)隣席のもとで行われたとされる。
その後の消息・没年・法名などは伝わっておらず不明。