資政院選挙

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資政院選舉
清
1909年10月〜1910年5月
 1912

共選出98個民選議席
  第1党 第2党 第3党
 
党首 陳宝琛楊度愛新覚羅載澤
政党 憲政維持進行会帝国憲政会中国語版辛亥俱楽部中国語版
同盟 立憲派立憲派立憲派
党首選挙区 碩学通儒
(欽選議員)
未参選未参選
選挙後議席 75席
(民選:38席)
(欽選:37席)
12席
(民選:12席)
(欽選:0席)
11席
(民選:4席)
(欽選:7席)

  第4党 第5党 第6党
 
党首 孫中山 汪栄宝 鄭孝胥
政党 中国同盟会政学会預備立憲公会中国語版
同盟 革命派 立憲派 立憲派
党首選挙区 未参選 各部院衙門官
(欽選議員)
未参選
選挙後議席 8席
(民選:5席)
(欽選:3席)
6席
(民選:1席)
(欽選:5席)
5席
(民選:3席)
(欽選:2席)

    黄色:立憲派が多数派となった省
    赤色:選出議員のいない省

選挙前政府首脳

世続中国語版(内閣首輔)
無党籍

继任政府首脳

奕劻内閣総理大臣
無党籍

資政院選挙(しせいいんせんきょ)は、清末の1909年に実施され、清朝において唯一実施された、資政院議員を選出する間接選挙である。資政院は、光緒新政による憲政改革に基づいて設立された議会の準備機関であり、この選挙は中国史上初の選挙と見なされている[1]

資政院は当初200名の議員で構成され、そのうち半数は各省の諮議局の議員による互選で選出され、残りの半数は清朝皇帝が各種別に基づいて任命した。なお、当時甘粛新疆省中国語版にはまだ諮議局が設置されていなかったため、議席数は196となった。

資政院選挙は間接選挙であった。民選議員の選出方法は、まず各省の諮議局議員が定数の2倍の人数を互選し、その中から督撫(地方の総督巡撫)が半数を当選者として指名する形式であった。一方、皇帝によって任命される欽選議員は七つの区分に分けられていたが、資格を有する者が多数いたため、欽選枠にも一定の選挙的要素が含まれていた[2]

民選議員 欽選議員
奉天 3 宗室王公世爵 14
吉林 2 満漢世爵 12
黒龍江 2 外藩王公世爵 14
直隷 9 宗室覚羅 6
江蘇 7 各部院衙門官 32
安徽 5 碩学通儒 10
江西 6 高額納税者 10
浙江 7
福建 4
湖北 5
湖南 5
山東 6
河南 5
山西 5
陝西 4
甘粛 3
四川 6
広東 5
広西 3
雲南 4
貴州 2
合計 98 合計 98

結果

関連項目

参考文献

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