足利輝氏

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生誕 天文14年(1545年)頃[1]
死没 天正12年(1584年[1]
 
足利 輝氏
時代 安土桃山時代
生誕 天文14年(1545年)頃[1]
死没 天正12年(1584年[1]
幕府 室町幕府
氏族 足利氏古河公方
父母 父:足利晴氏、母:芳春院殿?[1]
兄弟 藤氏義氏藤政輝氏家国里見義弘継室
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足利 輝氏(あしかが てるうじ)は、安土桃山時代武士。第4代古河公方足利晴氏の四男とされる。

ただし、当時の史料には所見がなく、その実在性や晴氏との関係も含めて不明点が多いとされている[2]。しかし近年、新たに輝氏に関係する史料が見つかったことにより、その実在性が再び指摘されている[3]

天文13年(1544年)もしくは天文14年(1545年)頃に生まれた[4]

永禄年代末期までの動向は詳細不明であるが、兄の義氏とともに北条氏に庇護されていたと考えられている。永禄元年12月から翌年正月の間に、13代将軍足利義輝より偏諱を受け、輝氏と名乗った[3]

当初は義氏の後継者的立場にあったが、天正4年(1576年)に義氏の嫡男・梅千代王丸が誕生すると、後継者から外れることになった。翌年(1577年)、幸手一色氏が輝氏を領内の高野台に迎えて守護するようになった。このとき、輝氏は右馬頭を名乗っていた[1]

天正12年(1584年)、沼尻の合戦に巻き込まれて死去したという[1][注釈 1]

脚注

注釈

参考文献

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