足立区首なし殺人事件
1996年に東京都足立区で発生した殺人事件
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概要
1996年(平成8年)1月9日、足立区東六月町の駐車場で布団に包まれた女性の首なし焼死体が発見された[1]。女性死体は陰部が切り取られていた[1]。現場の状況から警視庁捜査一課と綾瀬警察署は死体遺棄事件と見て捜査を開始した[1]。その後の捜査で警察は被害者が41歳女性であり、当時同居していた人物が小野 悦男だったことを突き止めた[6]。
小野は1968年から1974年に発生した首都圏女性連続殺人事件で犯人視され、その内の松戸市の1事件で殺人罪で起訴され1986年に一審で無期懲役判決が出たが、1991年に無罪を勝ち取っていた[7][8][9]。その後、小野は代用監獄や自白偏重捜査を批判する冤罪のヒーロー的存在となっており、刑事裁判の過程で出来た支援団体の存在があった[10][11][12]。そのため警察は慎重に捜査を進め、遺体に付着していた体液と照合するために小野の唾液を採取した[13]。
4月26日、小野が5歳の幼女に性的暴行を加え首を絞めた殺人未遂容疑で逮捕される[14][13]。DNA型鑑定により、首なし遺体に付着していた体液のDNAと小野のDNAが一致した[15]。
5月2日、小野の家宅捜索で、裏庭の地中から首なし遺体と切断面が合致する頭蓋骨と遺体切断に使われたノコギリ、さらに切り取られた陰部を冷蔵庫から発見[15]。これにより小野が殺害を自供した[16]。
供述によると「女性と公園で出会い同居生活を始めたが、1月5日の夜、女性が家事をしないことで口論となり、頭をバットで殴ったところ死亡してしまった[16]。せめて彼女の実家に骨だけでも返したくて、遺体を焼いたがなかなか骨にならず、頭部だけ持ち帰った」という[16]。
犯人
この事件の犯人である小野 悦男(おの えつお)は1936年(昭和11年)6月2日[17]、茨城県行方郡北浦村両宿(現:茨城県行方市両宿)で生まれた[19]。小野に窃盗や暴行などの数々の前科がありながら、過去に首都圏連続女性殺人事件で無罪となったことで冤罪のヒーローとして無批判に持ち上げたことは一面的な観点であったという批判が出た[12][16]。
また、無罪となった松戸事件を始め、その他の首都圏女性連続殺人事件の中にも、小野が関与した事件もあったのではないかという疑念も出た[16]。
刑事裁判
第一審・東京地裁
1996年(平成8年)7月22日、東京地裁(竹﨑博允裁判長)で初公判が開かれ、幼女誘拐についての罪状認否で小野は「被害者と遊んだり、連れ出したり、いたずらしたことは間違いありません」と起訴事実を概ね認めた上で「殺そうとは思わなかった」と述べて殺意を否認した[22]。
1996年(平成8年)9月10日、東京地裁(竹﨑博允裁判長)で女性殺害について罪状認否が行われ、小野は女性をバットで殴り死亡させたことは認めた上で「殺人については少し待ってください」と述べて認否を留保した[23]。認否を留保した理由について弁護人は「被告は女性との生活を望んでいた。殺害する理由はなく、殺意についての判断は慎重を期したい」と述べた[23]。
1997年(平成9年)7月22日、被告人質問が行われ、小野は女性をバットで殴り死亡させたことは認めた上で「殺してやろうと思ったことはありません」と述べて殺意を否認した[24]。
1997年(平成9年)9月3日、弁護人は、小野が首都圏女性連続殺人事件で拘置期間が長期にわたったことを踏まえて「長い間社会と隔絶され、人間関係を形成できなくなったことが犯行に与えた影響もある」として心理鑑定の実施を東京地裁に請求した[25]。
1997年(平成9年)10月14日、東京地裁は心理鑑定の実施を求めた弁護人の請求を却下した[26]。
1997年(平成9年)12月24日、論告求刑公判が開かれ、検察官は「犯行は残虐で著しく猟奇的である上、冷酷極まりない。全国民に大きな衝撃を与え、拭いがたい社会不安を生んだ」として小野に無期懲役を求刑した[27]。
1998年(平成10年)3月27日、東京地裁(金山薫裁判長)で判決公判が開かれ、裁判長は「猟奇的で悍ましく陰惨な犯行で、激情の赴くまま、何の躊躇いもなくいきなり殺害を決意しており、動機にも酌むべき点は全くない」として小野に検察官の求刑通り無期懲役の判決を言い渡した[28]。争点となった殺意について、女性に対する殺意に関しては、小野が日頃から女性に抱いていた不満が爆発したことなどを踏まえて確定的殺意を認定した[28]。また、幼女に対する殺意に関しては、小野が「さよなら」と言って首を絞めたことなどから殺意を認定した[28]。その上で「愚にもつかない弁解に終始、反省しているとは見受けられない」と断罪した[28]。
控訴審・東京高裁
1999年(平成11年)2月9日、東京高裁(神田忠治裁判長)は「殺害の動機はあまりにも短絡的で同情の余地がない。また幼女の味わった恐怖も計り知れない」として一審・東京地裁の無期懲役の判決を支持、被告側の控訴を棄却した[29]。この判決に対して小野は上告しなかったため、無期懲役の判決が確定した[30]。