路群

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路 羣(ろ ぐん、生年不詳 - 834年)は、唐代官僚は正夫。本貫魏州冠氏県[1]

進士に及第し、さらに書判抜萃科に登第して、節度使の補佐役を歴任した。入朝して監察御史となった。元和15年(820年)、穆宗が即位すると、路羣は軍士をねぎらうため西北辺境に派遣され、命を果たして、兵部郎中に累進した。大和2年(828年)、左諫議大夫に転じ、本官のまま侍講学士をつとめた。大和4年(830年)、侍講学士を退任して翰林学士となった。大和5年(831年)、翰林学士のまま、中書舎人に任じられた[2][1]

路羣は経学に詳しく、文章を作るのを得意とした。性格は思いやり深く孝行で、志と行いは貞操が固かった。父母の没後、終身肉食しなかった。穆宗の寵遇を受けたが、威勢を誇ることがなかった。大和8年(834年)1月、病没した[3][1]

家族

  • 玄祖父:路文昇(秦州刺史)
  • 高祖父:路元睿(広州都督)
  • 曾祖父:路幼玉(監察御史)
  • 祖父:路斉暉(宋州刺史)
  • 父:路季登(左諫議大夫)
  • 弟:路庠
  • 弟:路単
  • 子:路嶽(給事中)
  • 子:路巌

脚注

伝記資料

参考文献

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