辛巳事件

From Wikipedia, the free encyclopedia

辛巳事件(しんしじけん)とは、神亀元年(724年)2月に聖武天皇が生母の藤原宮子に対してによって与えられた称号が詔によって撤回された事件。撤回の詔が出された神亀元年3月22日(724年4月19日)の干支が辛巳であったことに由来する。

藤原宮子は、藤原不比等の娘で、文武天皇夫人で、配偶者の中では最上位であった[注釈 1]。そのため、宮子所生の首皇子(後の聖武天皇)が皇太子を経て、神亀元年2月4日(724年3月3日)に皇位を継承。これにより、宮子は徳の天皇の直系尊属になる。直後の6日、天皇は勅を出し、生母である宮子を「大夫人(ダイブニン)」と称するよう命じた。これは、臣籍にある天皇の尊属に対する尊号賜与の初例となった[1]

ところが、3月22日になって左大臣長屋王議政官公式令によれば大夫人という称号は存在せず皇太夫人があるのみであること、勅によって「大夫人」を用いれば違令となり、公式令によって「皇太夫人」を用いれば違勅になるとして、天皇の判断を仰ぎたいとの上奏を行った。これに対して天皇は先の勅を撤回し、文章上の呼称は「皇太夫人」、口頭での語は「大御祖(オホミオヤ)」とする詔を出して事態を収拾した。

影響

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI