近江輿地志略
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著者の寒川辰清
著者は寒川辰清(元禄10年〈1697年〉 - 元文4年〈1739年〉)。京都油小路出水の中邦氏の次男として生まれ、膳所藩士、寒川辰成家に婿入りし辰清と改名した[4]。
享保4年に本多康命の代に「近江国志」の編纂を命じられたが、非学と多病を理由に固辞し、代わりに向坂長英に編纂が命じられたがほどなく亡くなった[2]。康命が亡くなった後、康敏から再度編纂を命じられ、1734年(享保19年)に完成した[2]。その後、1738年(元文3年)に中傷により藩を追われることになり、大阪の唐金家に身を寄せたが、翌年に病で憤死した[2]。なお、辰清は1729年(享保14年)に「本朝四民本伝」、1731年(享保16年)に「武射必用」も著している[2]。