近藤芳樹 (国学者) From Wikipedia, the free encyclopedia 近藤 芳樹(こんどう よしき、1801年7月5日(享和元年5月25日)- 1880年(明治13年)2月29日)は、幕末から明治時代の国学者、歌人、長州藩士である。本姓は田中、幼名は裕。通称は源吾後に晋一郎。字は子潜。号は寄居子庵、風月史生等。 田中源吉の長男として、周防の岩淵(現在の山口県防府市)に生まれる。村田春門及び本居大平の門人となり国学を学ぶ。また、山田以文の門人ともなり、律令等経済関係の学問も学んだ。 後に長州藩士となり、近藤氏に改姓する。改姓後は萩[注 1]に自身の家塾を開き、国学を伝授した。また、同時期に同じ大平の門人であった加納諸平と共に和歌をよくし、多くの詠歌を発表し佐々木弘綱、井上文雄らと共に幕末の動乱期における代表的な歌人となった。明治維新後は上京して、宮内庁における文学御用掛を務めた。墓所は青山霊園[1]。 主な著作物 主著 『古風三体考』 『寄居歌談』- 1842年(天保13年)に刊行。 その他の著書 『令義解校本』 『淫祠論』 『陸路の(廼)記』- 維新後に刊行。明治天皇の関東及び北陸行幸をまとめた紀行文書。 編纂 『明治孝節録 巻1』宮内省、1877年。https://dl.ndl.go.jp/pid/778800。 『明治孝節録 巻2』宮内省、1877年。https://dl.ndl.go.jp/pid/778801。 『明治孝節録 巻3』宮内省、1877年。https://dl.ndl.go.jp/pid/778802。 『明治孝節録 巻4』宮内省、1877年。https://dl.ndl.go.jp/pid/778803。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 安芸(現在の広島県)とする説もある。 出典 ↑ “近藤芳樹(こんどう よしき)”. 墓マイラーが行く。. 2026年4月23日閲覧。 デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『近藤芳樹』- コトバンク 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『近藤芳樹』- コトバンク 美術人名事典(思文閣)『近藤芳樹』- コトバンク 世界大百科事典 第2版(平凡社)『近藤芳樹』- コトバンク 外部リンク 広島で活躍した国学者近藤芳樹の場合 - 広島大学 近藤芳樹[青山霊園に眠る偉人・著名人] - 霊園・墓地検索サイト ハナミズキ 典拠管理データベース 全般ISNIVIAFFASTWorldCat国立図書館ドイツアメリカ日本その他IdRefYale LUX この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。表示編集 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。表示編集 Related Articles