速谷神社
廿日市市にある神社
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概要
祭神
歴史
鎮座の年代は詳かではないが、創建千八百年を超える古社であり、安芸国では最も古い神社とされる[3]。
嵯峨天皇の御代、弘仁2年(811年)名神に列したことが国の正史『日本後紀』に記されており、これは広島県で最も古い神社に関する記録となる。[4]
清和天皇の貞観元年(859年)、従五位上であった神階を従四位下に進め、同9年(867年)には従四位上に進める。
醍醐天皇の延喜5年(905年)の『延喜式神名帳』には「安芸国佐伯郡 速谷神社 名神大 月次 新嘗」と記載されて官幣の名神大社に列し、国家鎮護の神社として毎年月次祭、祈年祭、新嘗祭の三祭に神祇官の奉幣に預かった。このように朝廷より古くから篤く崇敬され、古代において安芸・備後国はもとより、山陽道八ヶ国でも最高の社格を誇った。
朱雀天皇の承平5年(935年)、藤原純友の乱に、朝廷は騒乱の平定を速谷神社など全国十三社に祈願され、まもなくその乱が鎮定したので、神階を正四位下に進められた。
古くは安芸国の一宮であったとされるが、厳島神社が平氏に崇敬されるにつれて、安芸国二宮と称されるようになった[2]。
室町時代からは安芸国桜尾城主だった藤原親実以下歴代の城主、戦国大名の大内義隆、毛利元就、さらに広島藩主、浅野光晟以下の歴代藩主らが速谷神社を篤く崇敬して、神宝・社領を寄進し、社殿の造営と修復を行った。
大正13年(1924年)近代社格制度において国幣中社に列格。昭和21年(1946年)官制廃止により、神社本庁所属の別表神社となった。
神階
境内
摂末社
祭事
文化財
広島県指定重要文化財
- 紙本墨書大願寺尊海文書
- 木造狛犬

