連方屋敷

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連方屋敷(れんぽうやしき)は、山梨県山梨市三ヶ所新町にあった屋敷。戦国時代甲斐武田氏の蔵前衆であった古屋氏の屋敷跡である。

発掘調査中の連方屋敷。東側の土塁上から西方向を望む。2013年12月11日撮影。
連方屋敷周辺の空中写真。赤いラインで囲んだ部分が連方屋敷である。国宝の清白寺に隣接した位置に所在する。1975年撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
山梨県指定史跡の石碑と解説板。
2013年12月11日撮影。

所在する山梨市三ヶ所は甲府盆地北東部に位置し、一帯は青梅往還秩父往還が合流する交通の要衝。周辺には西後屋敷の清白寺や八日市場跡がある。中世には後屋敷郷、近世には後屋敷新町が成立する。「連方屋敷」の呼称は鎌倉時代甲斐源氏の一族安田義定の子孫・孫左衛門尉光泰が「連峯入道」を名乗り、当地に在したことに由来するとする説がある。

中世には周囲にや柵、土塁などの防御施設を有した武士の居館・土豪屋敷が出現し、峡東地域では中世後期の土豪屋敷として勝沼氏館甲州市勝沼町)や於曽屋敷(甲州市塩山)が知られる。山梨市域では連方屋敷のほか、山梨市東の上野氏屋敷が存在している。

屋敷跡は一辺が約100メートル四方の不整方形で、周囲には基底部幅8メートルから15メートル、高さ2メートルから3メートルの土塁が巡らされている。北東隅の土塁は一部欠けており、鬼門除けの折邪とする説と、付近に「木戸」の地名が見られることから虎口とする説がある。土塁の外部には堀が取り巻き、北側と東側に一部が現存している。また五輪塔も散在し、かつては墓地も所在していたと考えられている。

屋敷の中央から南方には直線上の道が伸びており、左右には町割が形成されている。

発掘調査と館主に関する考察

脚注

参考文献

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