道徳公園
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| 道徳公園 Dotoku Park | |
|---|---|
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| 分類 | 都市公園 |
| 所在地 | |
| 座標 | 北緯35度06分15.0秒 東経136度54分26.5秒 / 北緯35.104167度 東経136.907361度座標: 北緯35度06分15.0秒 東経136度54分26.5秒 / 北緯35.104167度 東経136.907361度 |
| 開園 | 1931年(昭和6年) |
| 設備・遊具 |
野球場1面[1] テニスコート1面[2] |
| アクセス | 名鉄常滑線・道徳駅から徒歩約2分 |
道徳前新田の開発
文政4年(1821年)には豪農の鷲尾善吉によって道徳前新田が開発された[3][4]。1881年(明治14年)の善吉死後、1955年(昭和30年)には石碑「鷲尾善吉翁頌徳碑」が建立された。
道徳公園の設置
1925年(大正14年)、尾張徳川家が所有していた道徳前新田が名古屋桟橋倉庫株式会社に売却され、宅地の開発などとともに公園の設置も行われた[4]。1927年(昭和2年)には敷地の半分近くを貸し出す形で、マキノ・プロダクション中部撮影所が設立された[4]。『忠魂義烈 実録忠臣蔵』が撮影されるなどしたが、牧野省三の死に伴って短期間で閉鎖された。マキノ中部撮影所があったのは現在の名古屋市立道徳小学校(1940年創立[5])と名古屋市立大江中学校(1947年創立[6])付近である。
1928年(昭和3年)には皇太子殿下御降誕記念事業公園の一つとして議決された。1930年(昭和5年)には後藤鍬五郎によって道徳観音山という人工の築山が完成し、1931年(昭和6年)頃にはプールとスケート場も完成した。道徳観音山があったのは、現在の観音町1丁目の観音公園の場所である。1936年(昭和11年)5月18日には清水寺の大西良慶大僧正を招いて道徳観音像の開眼式が行われた[7]。
1931年(昭和6年)ころに道徳公園が開園し、その後約10年かけて整備された[3]。当初は現在の道徳通まで広がる敷地と池をもっていた。開園と時を同じくして、カフェ、玉突き、洋食堂などが並ぶ道徳銀座通ができ、名古屋屈指の繁華街として南部工業地帯で働く労働者の憩いの場として賑わった。
戦後の道徳公園
戦後の道徳銀座商店街には、映画館の道徳映画劇場も開館した[8]。1964年(昭和39年)には道徳観音山が解体された[7]。
戦後の道徳公園にはコンクリート製遊具のクライミングスライダーが設置された。
- 南側入口
- 北東側の入口
- クライミングスライダー

