道氏
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概要
『新撰姓氏録』「右京皇別」によると、「道公」は「大彦命孫彦屋主田心命之後也」とあり、かつての越国の国造であったと思われる。『日本書紀』巻第四孝元天皇7年2月の記事によると、阿倍臣・膳臣・阿閉臣・狭狭貴山君・筑紫国造・越国造・伊賀臣の始祖とされており[1]、『先代旧事本紀』「国造本紀」によると、「高志国造は志賀高穴穂朝(成務天皇)の御世に、阿閉臣(あべのおみ)の祖・屋主田心(やぬしたごころのみこと)の3世孫である市入命(いちいりのみこと)を国造に定められた」とある。
本貫については加賀国石川郡味知郷とする説が有力であったが、「道」とは地名ではなく、白山信仰の司祭権・禅定道を掌握したものであり、現在の金沢市北郊であるとする説もある。
一族には、『書紀』、欽明天皇31年(570年)に、「天皇」と詐称して高句麗の使者の調を騙し取ったとされる「道君」[2]、天智天皇の宮人で、志貴皇子の母親である道君伊羅都売(いらつめ)[3]、『大宝律令』の撰定にも参加した道首名らがいる。
道君(公)は、8世紀には越前国加賀郡(現在の石川県河北郡と金沢市の一部)の郡司となり、中央の官僚をつとめた一族は枝族とされている。越中国・若狭国・佐渡国・出羽国などにも一族が存在していた。
『続日本後紀』によると、承和2年(835年)に左京の人で遣唐史生で、首名の孫に当たる道公広持、左京の人道公安野がともに当道(まさみち)朝臣を賜氏姓されたとある[4]。