道浦母都子
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和歌山県和歌山市生まれ[1]。大阪府吹田市在住。祖父・道浦若八は、部落解放運動にも縁のあった和歌山県議会議員。父は大阪工業大学土木工学科卒の土木技師で、日本窒素(後のチッソ)の関連会社・朝鮮窒素に勤務して、戦後に日本に引き揚げた[2]。
中学まで和歌山で暮らした後、父が千里ニュータウン開発に携わることになり大阪に移住。大阪府立北野高等学校を経て、早稲田大学第一文学部演劇学科に進学。第1次羽田事件で山崎博昭が死亡したことにショックを受けて学生運動に身を投じる。当時の早稲田大学を支配していた党派とは対立する党派に属していたため通学できず、法政大学を拠点にした学生生活を送っていた。1968年の新宿騒乱事件で逮捕を経験。黙秘を貫いた末に起訴猶予となる。1970年に朝日ジャーナルに投稿した論文が入選。1971年短歌結社『未来』に入会し、近藤芳美に師事。小栗康平は当時通っていたシナリオ学校の仲間だった。
1972年に早稲田大学を卒業後、大阪に帰りアサヒ・ファミリー・ニュース社の記者として勤務。短歌仲間だった医師と結婚するが、DVを理由に離婚。1980年、全共闘運動に関わった学生時代を歌った歌集『無援の抒情』を発表。歌集としては異例の10万部を超えるベストセラーになり、第25回現代歌人協会賞を受賞する。タイトルは高橋和巳の『孤立無援の思想』からとったものである。2008年、和歌山県文化賞受賞。静岡新聞、中国新聞、信濃毎日新聞歌壇選者。2003年から2011年まで、吹田市教育委員を務めた。