小栗康平

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生年月日 (1945-10-29) 1945年10月29日(80歳)
活動期間 1981年 -
おぐり こうへい
小栗 康平
小栗 康平
生年月日 (1945-10-29) 1945年10月29日(80歳)
出生地 日本の旗 日本群馬県前橋市
職業 映画監督脚本家
活動期間 1981年 -
公式サイト 小栗康平オフィシャルサイト
主な作品
映画
泥の河』/『死の棘』/『眠る男
受賞
カンヌ国際映画祭
審査員グランプリ
1990年死の棘
国際映画批評家連盟賞
1990年『死の棘』
日本アカデミー賞
最優秀監督賞
1982年泥の河
優秀監督賞
1997年『眠る男』
ブルーリボン賞
第24回ブルーリボン賞作品賞『泥の河』
その他の賞
日本映画監督協会新人賞
第36回毎日映画コンクール最優秀作品賞、最優秀監督賞
第55回キネマ旬報ベスト・テン日本映画監督賞
第6回報知映画賞新人賞
第12回モスクワ国際映画祭銀賞

1980年死の棘
ジョルジュ・サドゥール賞フランス語版1984年『伽倻子のために』(日本人初受賞)
芸術選奨文部科学大臣賞
1990年死の棘
モントリオール世界映画祭審査員特別大賞
第70回キネマ旬報ベスト・テン日本映画監督賞
第38回毎日芸術賞
第20回山路ふみ子映画賞

1996年眠る男
紫綬褒章[1]
2006年
旭日小綬章[2]
2006年
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小栗 康平 (おぐり こうへい、1945年昭和20年〉10月29日[3] - )は、日本映画監督

1945年群馬県前橋市朝日町に生まれる[4][3]群馬県立前橋高等学校を卒業後[4]早稲田大学第二文学部に進み1968年に卒業[3]。まずはピンク映画の世界に飛び込んだが、ほどなく浦山桐郎の下に弟子入りする。その後、フリーの助監督として、山本迪夫大林宣彦篠田正浩らの助監督を務めた。この間、1973年特撮テレビドラマ『流星人間ゾーン』で監督を務めている。

1981年1月に、宮本輝原作による処女作『泥の河』を発表[4]第55回キネマ旬報ベスト・テン第1位に選出され[5]第5回日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞した。国外でもモスクワ国際映画祭で銀賞を受賞し、第54回アカデミー賞では外国語映画賞にノミネートされた。

1984年11月には、李恢成原作の『伽倻子のために』(かやこのために)を発表。フランスのジョルジュ・サドゥール賞フランス語版(1985年)を日本人として初めて受賞した[6]

1990年4月、島尾敏雄原作の『死の棘』を発表。島尾は大島渚や篠田などからの映画化の依頼を頑なに拒否していたが、『泥の河』を賞賛し、小栗には映画化を認めた。同年5月の第43回カンヌ国際映画祭では同映画祭ディレクターのジル・ジャコブフランス語版の推薦によりコンペティション部門に出品され、審査員グランプリと国際映画批評家連盟賞を受賞した。同作を含む3作はいずれも1950年代を舞台としており、戦後生まれの小栗が「日本人と私」を問い続けた「戦後三部作」と位置づけられている[6]

1996年2月、初のオリジナル脚本による『眠る男』を発表。同作は第47回ベルリン国際映画祭で芸術映画連盟賞を、第20回モントリオール世界映画祭では審査員特別大賞を受賞した。

2005年6月、『埋もれ木』を発表。同年5月に第58回カンヌ国際映画祭の監督週間部門で上映された。

2015年、10年ぶりの作品となる『FOUJITA』が公開された[7]

監督作品

映画

テレビ

  • 流星人間ゾーン (1973年)
    • 第15話「沈没!ゴジラよ東京を救え」(脚本のみ)
    • 第21話「無敵!ゴジラ大暴れ」
    • 第26話(最終回)「粉砕!ガロガガンマーX作戦」

著書

2005年12月号より、グラフ文化誌『風の旅人』(ユーラシア旅行社)に「見ようとする意思」連載中。

DVD

脚注

外部リンク

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