遠山政景 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 不明死没 天正8年3月23日(1580年4月7日)別名 右衛門大夫、甲斐守 凡例遠山 政景時代 戦国時代生誕 不明死没 天正8年3月23日(1580年4月7日)別名 右衛門大夫、甲斐守主君 北条氏康→氏政氏族 武蔵遠山氏父母 父:遠山綱景 兄弟 藤九郎、隼人佐、弥九郎、政景、川村秀重、法性院(後に北条氏綱養女、太田康資室)、娘(舎人経忠室)ほか子 遠山直景テンプレートを表示 遠山 政景(とおやま まさかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。後北条氏の家臣。遠山綱景の四男[注釈 1]。 相模国大山寺八大坊の僧侶となっていたが、永禄7年(1564年)の第二次国府台合戦で父と兄・隼人佐が戦死したため還俗し、主君の北条氏政から偏諱を賜って政景と名乗り、遠山氏の家督および父の江戸城代と江戸衆寄親という立場を継承した[1]。 また、古河公方・足利義氏との交渉担当も継承している。永禄10年(1567年)に義氏が政景に相馬治胤の対応について江戸城からの援兵を300〜500依頼するという書状が残っており、同程度の兵を単独で動かせる立場にあったと推測される。 元亀2年(1571年)に氏康が死去し、北条氏秀が江戸城代に起用されると、政景は葛西城代となり、役割が縮小された[1][2]。 天正8年(1580年)に死去。家督は息子の遠山直景が跡を継いだ。次男に猿渡盛道がいるとされる。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 次兄・隼人佐と政景の間に葛西城代を務めたと見られる弥九郎の存在が指摘されている[1]。 出典 1 2 3 黒田 2021, pp. 168–171. ↑ 黒田 2021, pp. 223–225. 参考資料 下山治久編『後北条氏家臣団人名辞典』(東京堂出版、2006年)ISBN 4490106963 黒田基樹『戦国関東覇権史 北条氏康の家臣団』KADOKAWA〈角川ソフィア文庫〉、2021年。ISBN 978-4-04-400668-6。 Related Articles