遠藤光徳
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鳥取県西伯郡外江村(現在の境港市外江町)出身[3][6]。遠藤久壽の長男[6][7][8][9]。1895年、弓ケ浜高等小学校を卒業[5]。
少年時代に米子の坂口平兵衛本店に入店[5]、店員となる[6]。3年はただ働きだった[2]。忠実に奉公しているうちに坂口平兵衛に認められ、同家の大番頭に挙げられる[9]。1924年、坂口合名会社の支配人となる[1]。
1921年、米子町会議員に当選後、米子市議会議員・鳥取県議会議員などの公職をつとめ[注 2]、米子市議会議長に15年8ケ月にわたり在職する[4]。
鋳物諸工具製造業を営む[7][8]。幾多の事業に関係し[6]、米子製鋼所、大谷オフセット印刷各社長、米子電車軌道、皆生温泉土地各取締役、山陰農具監査役などをつとめる[7]。
1927年、米子商工会工業部々長(理事)に就任[5]。1929年、米子商工会議所創立委員となり、設立後常議員に当選[5]。1943年、鳥取県商工経済界評議員に就任[5]。1946年、米子商工会議所会頭に就任[5]。1951年まで会頭を2期つとめ、退任後は顧問に推挙される[5]。
栗林組監査役[10]、鳥取県信用保証協会理事長[5]、鳥取県商工会議所連合会会長、中国地方商工会議所連合会副会長などをつとめる[1]。1973年、92歳で亡くなる[1]。正六位勲四等瑞宝章を追贈される[1]。