那波加神社
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| 那波加神社 | |
|---|---|
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本殿 | |
| 所在地 | 滋賀県大津市苗鹿一丁目8-1 |
| 位置 | 北緯35度5分1.3秒 東経135度53分22.6秒 / 北緯35.083694度 東経135.889611度座標: 北緯35度5分1.3秒 東経135度53分22.6秒 / 北緯35.083694度 東経135.889611度 |
| 主祭神 | 天太玉命 |
| 社格等 |
式内社(小) 旧県社 |
| 創建 | (伝)天智天皇7年(668年) |
| 本殿の様式 | 一間社流造 |
| 別名 | 苗鹿大明神 |
| 例祭 | 4月29日 |
| 地図 | |

那波加神社(なはかじんじゃ/なばかじんじゃ[1])は、滋賀県大津市にある神社。式内社で、旧社格は県社。神紋は「苗を背負鹿」「三ツ巴」「抱茗荷」[2]。
歴史
社伝によれば、祭神の天太玉命はこの地に降臨し太古から鎮座したという。老翁となった天太玉命の農事を助けるために、鹿が現れて稲の苗を背負って運んだので「苗鹿(なはか/のうか)」という社名・地名になったと伝える。当社との関わりがうかがわれるものとして、周辺には苗鹿古墳群や法光寺古墳群なども残っている。天智天皇7年(668年)に社殿造営、大同2年(807年)に荒魂社が造営されたと伝える。
仁寿元年(851年)、小槻宿禰今雄が雄琴荘を拝領して以降、当社と雄琴神社とが小槻氏の氏神とされ崇敬された。また、氏寺として建立した法光寺が当社別当寺となった。なお、法光寺境内には鎮守社として天神社があり木造男女神像(市指定文化財)が安置されているが、これらは当社の神体として作られたとする説がある[3]。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では近江国滋賀郡に「那波加神社」と記載され、式内社に列している。
円仁が比叡山延暦寺の横川中堂を建立した際には、内陣柱を奉加した。このことも関係し、天台宗において法華経守護神である三十番神に第29番「苗鹿大明神」(本地仏:阿弥陀如来)として列している。建武2年(1355年)には後醍醐天皇より勅使が差遣され、天下太平祈願がなされた。元亀2年(1571年)織田信長の比叡山焼き討ちの際に社殿等を焼失し、慶長12年(1607年)再建された。
明治9年(1876年)10月近代社格制度において村社に列し、明治28年(1895年)1月に郷社に、明治35年(1902年)5月には県社に昇格した。
境内
摂末社
那波加荒魂神社(上の宮)
| 那波加荒魂神社 | |
|---|---|
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社殿 | |
| 所在地 | 滋賀県大津市苗鹿一丁目9-14 |
| 位置 | 北緯35度05分00.47秒 東経135度53分18.72秒 / 北緯35.0834639度 東経135.8885333度 |
| 主祭神 | 那波加神社荒魂 |
| 社格等 | 那波加神社末社 |
| 創建 | 大同2年(807年) |
| 本殿の様式 | 一間社流造 |
斎部宿禰広成が祭神の荒魂社を創建、別宮としたという。社殿は概ね本社と同じであるが、拝殿・神饌所・神輿庫はない。
社殿背後には盤石が残り、磐座信仰の名残を伝える。
- 本殿
- 拝所
- 鳥居
- 霊石
その他
那波加神社境内
いずれも玉垣内に鎮座する。
- 龍神社
- 夷社
- 宇賀社
- 大将軍社
那波加荒魂神社境内
いずれも玉垣内に鎮座する。
- 大炊社
- 愛宕社
- 須古社
