郡津

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郡津(こうづ[3]、こおづ[6])は、大阪府交野市の地名。1丁目から5丁目まである。郵便番号は576-0053。

概要 郡津, 国 ...
郡津
郡津の位置(大阪府内)
郡津
郡津
郡津の位置
北緯34度47分43.5秒 東経135度40分28秒
日本の旗 日本
都道府県 大阪府
市町村 交野市
面積
  合計 0.862752 km2
人口
2024年〈令和6年〉3月31日現在)[2]
  合計 6,621人
  密度 7,700人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
576-0053[3]
市外局番 072(寝屋川MA[4]
ナンバープレート 大阪[5]
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地理

交野市の北部に位置する[7]。北から東にかけて枚方市・幾野、南に私部、西に京阪交野線を挟んで梅が枝・松塚と隣接している[7]

河川

歴史

室町時代河内国交野郡の郷として郡戸郷があった[6]

長禄2年(1458年)9月、『経覚私要抄』に「コウツト云里ヲハ悉被焼払了」とあり、郡津が焼き払われている[6]石清水八幡宮神人が下知に従わず新関を設けるなどしたため、幕府の命で神人の地が焼き払われており、郡津も同様に焼かれたとみられる[6]

天正11年(1583年)8月の豊臣秀吉判物には「河州交野郡郡戸村五百三十三石六斗」と記されており、片桐貞隆が郡津などに知行を与えられていることが分かる[6][10]

江戸時代の村名は郡津村といった[6]。なお、村名の表記について、文化元年(1804年)に大坂町奉行の命で「郡津」に改めるまでは郡門村と書いたともされる[11]

郡津村は、寛永年間(16241644年)以降、大和小泉藩片桐氏山城淀藩永井氏相給で、正保年間(16441648年)の村高783石のうち、550石が小泉藩領で、233石が淀藩領だった[6]。小泉藩領は延宝2年(1674年)より旗本下条氏領(下条氏は寛保3年〈1743年〉に片桐に改姓)となっており、淀藩領は万治元年(1658年)に旗本永井氏領、貞享4年(1687年)に幕府領、元禄7年(1694年)に相模小田原藩大久保氏領となっている[6]

郡津の集落を南北に東高野街道が通り[6]貝原益軒の『南遊紀行』に「香津の茶屋」と出てくる[6][12]。また、『五畿内志』には「郡門」という表記が見られる[6]

1881年明治14年)、郡津村は大阪府の所属となり、1889年(明治22年)、交野村の大字郡津となった[6]

地名の由来

古代交野郡の郡衙の門前の村だったことに由来するという[6][11]。当初は「郡門村」と書いて「こうど村」と読んだとされ、その後「こうづ」に変化した後、表記も「郡津」に改められたとされる[11]

沿革

世帯数と人口

2024年令和6年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

さらに見る 丁目, 世帯数 ...
丁目世帯数人口
郡津1丁目 897世帯 2,025人
郡津2丁目 540世帯 1,299人
郡津3丁目 504世帯 1,109人
郡津4丁目 375世帯 919人
郡津5丁目 594世帯 1,269人
2,892世帯 6,621人
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学区

市立の小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[20]

さらに見る 町丁, 番・番地等 ...
町丁番・番地等小学校中学校
郡津1-5丁目全域 交野市立郡津小学校 交野市立第二中学校
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郡津1丁目1–3番、37–43番は、2025年(令和7年)4月より郡津小学校区となった[20]

施設

交通

鉄道

バス

  • おりひめバス - 2024年9月より実証運行中[30]

道路

脚注

参考文献

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