倉治
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地理
歴史
江戸時代には倉治村と呼ばれた[7]。河内国交野郡に属する[7]。元和5年(1619年)、倉治村は旗本久貝氏が知行し、文久3年(1863年)に幕府領となった後、慶応元年(1865年)、再び旗本久貝氏領となっている[7]。
村の鎮守は機物神社で[7]、同社に対しては元亀3年(1572年)3月、織田信長が石山本願寺攻めにあたり禁制を掲げ、天正10年(1582年)6月9日、明智光秀が山崎の戦いの前に白銀を奉納している[11]。同年7月9日には、羽柴秀吉も禁制を掲げた[11]。
安永年間(1772–1781年)から寛政年間(1789–1801年)にかけて津村淙庵が『譚海』を著しているが、そこには「くらぢと云所に、源氏の滝といふあり」として倉治の名が現れている[7]。
1881年(明治14年)、倉治村は大阪府の所属となり、1889年(明治22年)に交野村の大字倉治となった[7]。
地名の由来
『交野市史 民俗編』には以下の3説が記載される[12]。
沿革
- 1889年(明治22年) - 交野郡交野村の大字となる[13]。
- 1896年(明治29年) - 所属郡が北河内郡に変わる[14]。
- 1939年(昭和14年) - 交野町の大字となる[7]。
- 1971年(昭和46年) - 交野市の大字となる[7]。
- 1974年(昭和49年) - 一部が幾野2-6丁目となる[15]。
- 1975年(昭和50年) - 一部が青山3丁目となる[16]。
- 1976年(昭和51年) - 一部が郡津2丁目となる[17]。
- 1980年(昭和55年) - 一部が倉治1-9丁目、東倉治1-5丁目、神宮司1-2丁目となる(倉治2丁目と神宮寺1-2丁目は私部だった場所を含む)[18]。
世帯数と人口
学区
施設等
- 交野市立倉治小学校(1丁目)[20]
- 交野市立図書館(倉治図書館、6丁目)[21]
- 交野市立教育文化会館(6丁目)[22] - 歴史民俗資料展示室を設置[22]。国の登録有形文化財(建造物)[23]。
- 交野警察署(1丁目)[24]
- 交野倉治郵便局(2丁目)[25]
- JA北河内 交野支店(2丁目)[26]
- 関西スーパー 倉治店(7丁目)[27]
- 万代 倉治店(7丁目)[28]
- ビッグサン(8丁目)[29][30]
- スギ薬局 倉治店(3丁目)[31]
- 機物神社(1丁目)[32]
- 光明院(6丁目)[33]
- 善通寺(6丁目)[34]
- 交野カントリー倶楽部(大字倉治)[35]
- 交野山森林公園(大字倉治)[36][37]
- 交野いきものふれあいの里(大字倉治)[36][37]