鄭朗

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鄭 朗(てい ろう、生年不詳 - 857年)は、唐代官僚政治家は有融[1][2]本貫鄭州滎沢県[3]

長慶元年(821年)、進士甲科に及第した。右拾遺に任じられた。開成2年(837年)、起居郎となった。考功郎中に転じた。開成4年(839年)、諫議大夫に任じられた[1][2]

会昌元年(841年)、給事中となった。会昌3年(843年)、華州刺史として出向した。入朝して御史中丞戸部侍郎・判戸部司事となった。会昌4年(844年)、定州刺史・義武軍節度・易定観察・北平軍等使として出向した。大中5年(851年)、検校戸部尚書汴州刺史・宣武軍節度・宋亳汴潁観察等使に転じた。入朝して工部尚書となり、判度支をつとめた。御史大夫となり、礼部尚書に転じた[1][2]。大中7年(853年)4月、中書侍郎・同中書門下平章事(宰相)となった[4]。集賢院大学士・監修国史を加えられた[5]

大中10年(856年)、病のため宰相から退任した。検校尚書右僕射を加えられ、太子少師を兼ねた。大中11年(857年)10月、死去した。司空の位を追贈された[5][6]

家族

脚注

伝記資料

参考文献

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