双洎河と黄水の合流点の北西に位置している。鄭の武公のときにここに遷都した。紀元前375年、韓の哀侯が鄭を滅ぼしてここに遷都し、韓の都城とした。遺跡の平面は南北4500m、東西5000mにわたる不規則な逆L字形を呈している。故城跡の中心には、南北に走る隔壁があり、故城跡を東城と西城に分けている。城壁の地表での残存は良好で、残高は15m - 18m、基厚は40m - 60mと、現在でも巨大な版築城壁をみることができる。
西城はやや小さく不規則な方形を呈し、今日の新鄭市県城の北には、宮城遺跡や建築遺跡が集中する。宮城遺跡の中央北側に大型の建築遺跡が確認されている。東城は曲尺形を呈し、面積は西城の倍ほどで、城内からは鋳銅遺跡・製鉄遺跡・骨器製作遺跡などの各種手工業遺跡が発見されている。
故城の内外からは、多数の春秋戦国時代の墓が発見されている。また東城の新華路の南では、青銅器坎7基、青銅楽器坎11基、殉馬坎45基からなる春秋時代の祭祀遺構が発見されている。