醍醐経胤
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概要
経歴
享保7年(1722年)に叙爵。以降清華家当主として速いスピードで昇進し、侍従・左近衛中将を経て、享保14年(1729年)には従三位となり公卿に列する。権中納言・踏歌節会外弁を経て、元文3年(1738年)に権大納言に補される。宝暦4年(1754年)に右近衛大将・右馬寮御監に任じられるも翌年に一度任職を辞す。宝暦10年(1760年)には従一位を授与された。安永7年(1778年)には内大臣を経ずして右大臣に任じられるも、翌年に辞す。またこの年より経胤と改名する。
宝暦元年(1751年)、本家の一条家から養子の兼純を迎えて跡目としていたが、同年に実子の冬香が生誕。跡を継いだ兼純もやがては早世し、冬香がその跡を継いでいる。