野口定男
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1917年、神奈川県横須賀市に生まれる。後に長野県へ転居、旧制松本高等学校に入学し1937年に卒業。東京帝国大学文学部に入学し1940年に卒業。東亜新秩序研究会勤務。1941年に召集を受けるも病気のため除隊。1944年、満州に渡り満州電業株式会社に勤務。戦後、満州から引き上げると立教大学予科講師、1949年に文学部講師を勤めた。当時は大学構内の留学生寮の管理人宿舎に住みこんでいた。その後、1951年に文学部助教授、1959年に教授となっている[2]。
著作活動や学生に講義を行う傍ら学生スポーツにも積極的に関与した。1972年に立教大学野球部の部長に就任したことを契機に、全日本大学野球連盟専務理事、日本学生野球協会理事、日米大学野球選手権大会の組織委員会事務局長も務めた。また立教大学ラグビー部や弓道部、水泳部の部長も務めた。晩年は埼玉県新座市野火止に居住した。1979年11月18日、癌性胸膜炎のため東京都の聖路加国際病院で死去。62歳[3]。