正徳4年(1714年)、相良権大夫とともに琉球に派遣される。享保11年1月11日、始羅郡山田郷地頭に就任。元文元年(1736年)、当時、物頭職を勤め、物頭として琉球在番を命じられ、琉球渡海。このときモウソウチクの輸入を命じられ、5月にモウソウチク20株を清より琉球に輸入する。
元文3年(1738年)、在番の任期切れにより帰国し、吉貴のいる仙巌園にモウソウチクを献上する。同年7月1日に町奉行及び川内高城地頭に就任する。なお、当時の町奉行の同僚に示現流高弟の薬丸兼慶がいた。元文5年(1740年)2月15日、役料90石をもらう。[1]延享元年(1744年)6月5日、高城地頭を辞任する。