金始顕 From Wikipedia, the free encyclopedia 撮影時期不詳 金 始顕(キム・シヒョン、朝鮮語: 김시현/金始顯、1881年または1882年[1][2]または1883年[3] - 1966年1月3日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の政治家。大韓民国臨時政府委員[2]、東洋工科大学学長、第2・5代韓国国会議員[1]。 本貫は安東金氏。字は九和(クファ、구화)、号は何求(ハグ、하구)、鶴右(ハグ、학우)[3]。独立運動家の権愛羅(朝鮮語版)は妻[4]。 慶尚道安東大都護府(現・慶尚北道安東市豊山面)出身[5]。明治大学法学部卒。三・一運動に参加後、満州の吉林省に亡命し、義烈団に入団した。1922年、モスクワに開催された極東革命団体代表大会に金奎植・呂運亨らとともに韓国代表として参加した。1923年、義烈団の密命を受けて朝鮮に潜入し、日本の朝鮮統治機関の破壊や大日本帝国の要人の暗殺などを計画したが、京畿道警察部の黄鈺(朝鮮語版)と連携して爆弾を朝鮮に輸入し[6]挙事しようとして逮捕され、懲役10年の刑を言い渡された。1929年に再び満州へ亡命し、吉林省で独立同盟を組織したが、1931年に北京での活動中に逮捕され、長崎県に移送され5年間服役した。出所後に再び北京へと渡り、独立運動を行ったところ、1942年に北京の日本総領事館の警察に逮捕され投獄された。1945年にまた日本の憲兵隊に捕らえられ投獄されたが、光復により釈放され、以後朝鮮に帰国し、高麗同志会会長、電報通信社会長、民主国民党顧問、第2代国会議員、東洋工科大学長[1]などを務めた[3][2]。 1952年6月25日、釜山での6・25記念式典で、同じ義烈団出身の柳時泰(朝鮮語版)が演説を始めた李承晩の後ろからドイツ製モーゼルの引き金を引いたが、拳銃の不具合で弾丸が出ず、暗殺未遂に終わった。当時、柳は民国党の国会議員である金のスーツを着て、金の身分証明を所持したまま式典現場に入ったため、金も首謀者の1人と見られ、柳に拳銃とスーツを提供したとして逮捕された[5][7]。裁判では柳とともに死刑判決を受けたが、のち大法院により無期刑に減刑され、1960年の四月革命期間中に釈放されるまで約10年間監獄で過ごした。出獄後はまた民議員に選出されたが、5・16軍事クーデターの発生により政界を引退した[5][3][2]。なお、李承晩に対する暗殺未遂事件により、独立運動の時期に18年7か月間の長い監獄生活を送ったにもかかわらず、韓国政府による賞勲は一切なかった[5][6]。 1966年1月3日、ソウル市仏光洞の自宅にて持病により死去した。享年83[7]。 脚注 1 2 3 “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年12月30日閲覧。 1 2 3 4 “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年12月30日閲覧。 1 2 3 4 신재홍(국사편찬위원회, 한국사), “김시현 (金始顯)” (朝鮮語), 韓国民族文化大百科事典 (韓国学中央研究院), https://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0009683 2025年12月30日閲覧。 ↑ 권대웅(전 대경대학교 교수), “권애라 (權愛羅)” (朝鮮語), 韓国民族文化大百科事典 (韓国学中央研究院), https://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0075700 2025年12月30日閲覧。 1 2 3 4 “최후의 의열단원 김시현·유시태”. OhmyNews (2025年1月6日). 2025年12月30日閲覧。 1 2 “비운의 지역 독립운동가 김시현과 현계옥” (朝鮮語). 경상매일신문 (2016年10月17日). 2025年12月31日閲覧。 1 2 “金始顯翁別世(김시현옹별세)”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1966年1月5日). 2025年12月30日閲覧。 Related Articles