金子彦太郎
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金子利七の長男として静岡県富士郡今泉村(吉原町、吉原市を経て現富士市)に生まれる[2]。小学校卒業後、静岡中学校に学び、野球部(現在の静岡高校野球部)に所属した[5]。1905年(明治38年)札幌農学校林学科を卒業[2]。翌年の1906年(明治39年)9月、陸軍に入り、陸軍砲兵少尉に進み、1910年(明治43年)除隊帰郷した[2]。
1921年(大正10年)今泉村会議員に当選[2]。5期務めたのち、同村助役を2期[2]。1935年(昭和10年)今泉村長に就任し、1942年(昭和17年)に吉原町と合併するまで務めた[2]。また、1927年(昭和2年)10月より静岡県会議員を4期[2]。同議長も務めた[6]。
ほか、郡農会長、茶業組合長、養蚕業組合長、県農会名誉幹事、県茶業組合連合会議所理事、県養蚕業組合連合会長[7]、県土地改良協会、県河川海岸協会各会長を歴任した[6]。
1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では静岡県第2区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し当選[6]。衆議院議員を1期務めた[6]。議員在任中は、翼賛会政調文部、農林兼務委員を務めた[7]。
戦後、公職追放となった[8][注 1]。追放解除後の1952年(昭和27年)吉原市長に当選し、3期務め[9]、現職で急逝した[5]。
