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金沢町 (秋田県)

日本の秋田県仙北郡にあった村 From Wikipedia, the free encyclopedia

金沢町(かねざわまち)は、秋田県の東南部に位置した町。後三年の役の古戦場として知られ、金沢柵などの史跡がある[1]。昭和の大合併で横手市に編入され消滅。その後、北部が仙北郡仙南村に分市した[1]。

廃止日 1956年9月30日
廃止理由 編入合併
金沢町 → 横手市
現在の自治体 横手市、美郷町
国 日本の旗 日本
概要 かねざわまち 金沢町, 廃止日 ...
かねざわまち
金沢町
廃止日 1956年9月30日
廃止理由 編入合併
金沢町 → 横手市
現在の自治体 横手市、美郷町
廃止時点のデータ
国 日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 秋田県
郡 仙北郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 28.93 km2.
総人口 7,478人
(1956年9月30日)
隣接自治体 横手市(旧横手町、旧境町村、旧山内村)
仙北郡:仙南村(旧飯詰村、旧金沢西根村)
仙北郡:六郷町
金沢町役場
所在地 秋田県仙北郡金沢町金沢本町字本町27
座標 北緯39度22分40秒 東経140度34分27秒

町村制施行当時の仙北郡
6.金沢村
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概要

平安時代に起こった後三年合戦の古戦場として知られる[2]。『奥州後三年記』などによれば、ここでは出羽清原氏一族の清原武衡・清原家衡のこもる金沢柵に源義家・藤原清衡連合軍が兵糧攻めの末に落城させたとされ、これが奥州藤原氏による平泉政権につながったものである[注釈 1]。古戦場には金澤八幡宮があり、従来はこれが金沢柵のあった場所と考えられてきた[3]。しかし、今日では横手市金沢中野の陣館遺跡で庇付建物が見つかったり、美郷町側の長岡森周辺の地形・構造が横手市の平安時代の同時期の防禦性集落大鳥井山遺跡(国の史跡)に似ていることなどが指摘されており、八幡宮一帯が金沢柵の故地であるとは断定できなくなってきた[4]。

一方、八幡宮一帯が中世において城館「金沢城」として用いられてきたこともまた事実であり、曲輪(郭)や空堀、一部石垣を備えた本格的な防禦施設であることは明らかである[3]。昭和40年代には秋田県教育委員会によって発掘調査がおこなわれ、本丸跡、西の丸、北の丸からは掘立柱建物跡を検出している[3][5]。建物の時期を特定できる遺物は出土していないが、北の丸建物遺構の検出された平坦地北側からは木炭くず、炭化米が出土している[3]。遺跡全体からは、須恵器、古瀬戸、黄瀬戸、中国産青磁、石製片口鉢、赤漆塗の椀、常滑産の三筋文壺などが出土している[3][5]。文献資料からは、1458年(長禄2年)に南部氏の家臣金沢右京亮が入り、1470年(文明2年)まで居館としていた[6]。その後、雄勝郡から平鹿郡・さらに仙北郡へと北上した小野寺氏の勢力下に入り、小野寺氏の家臣金沢権十郎が居城とした[6]。戦国時代にあっては、金沢城主は他の近隣大小領主からは比較的自立的な動きを示した。

常陸国の戦国大名佐竹氏の出羽久保田転封にともない、金沢城は佐竹義賢(東将監)、梶原美濃が受け取り、1622年(元和8年)に破却された[6]。歴代の久保田藩主は清和源氏の流れを汲むことから八幡宮を保護した[注釈 2]。この神社に奉納される「金沢ささら」は、佐竹氏入部にともない下野国からもたらされた「茂木ささら」が源流といわれ、勇壮活発な舞で知られる[2][7]。また、六郷熊野神社とならび、金澤八幡宮でも古代の歌垣のなごりといわれる「かけ唄祭り」がおこなわれる。

1964年(昭和39年)、公園設置条例により、横手公園とともに金沢公園となった。1970年代には、日発精密、丸巳繊維、厚木自動車部品などの工場がつぎつぎに誘致された[2]。

金沢本町の桂徳寺に県有形文化財「木造阿弥陀如来坐像」、金澤八幡宮に県有形文化財「写経(大般若波羅蜜多経)」が所蔵されている[2]。

歴史

旧高・旧領

明治初年の石高は以下の通り[8]。

さらに見る 村, 旧高 ...
村旧高旧領旧県備考
野荒町村307.230988石秋田藩(久保田藩)秋田県現美郷町
金沢前郷村1058.488037石秋田藩(久保田藩)秋田県現美郷町
金沢寺田村516.085022石秋田藩(久保田藩)秋田県現美郷町
金沢本町村65.000000石秋田藩(久保田藩)秋田県現横手市[注釈 3]
金沢中野村881.664001石秋田藩(久保田藩)秋田県現横手市
安本村445.285004石秋田藩(久保田藩)秋田県現横手市
合計3273.753052石———
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後三年合戦にかかわる地名と伝承

金沢柵ないし金沢城の周辺には、当時の地名と考えられる陣館、物見(斥候)山、西沼(飯詰村では「大沼」という)、蛭藻沼、御所野、陣ヶ森などの名称が横手市側に、武者隠しの森といわれる長岡森が美郷町側にのこり、伝承も数多くのこっている[9]。源義家が金沢柵に向かう途中、西沼(大沼)を通った際に、群れ飛んでいた雁が急に列を乱したことから、敵の伏兵を察知し、難を逃れたといわれるのが沼のほとり、立馬郊(現「平安の風わたる公園」)である[10][注釈 4]。

郷土出身の人物

郷土ゆかりの人物

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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