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金津滋

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「八雲の肖像」(『小泉八雲旧居』より)

金津 滋(かなつ しげる、1923年(大正12年)4月1日 - 1996年(平成8年)7月25日)は、日本の染色工芸家。島根県松江市出身。

  • 1923年4月1日 東京にて生まれる。まもなく松江へ移住。    
  • 戦時中、フィリピン・ルソン島にて従軍。のちに松江へ戻る。
  • 1946年 松江美術工芸研究所に入学。在学中、河井寛次郎や平塚運一らの教えを受ける。
  • 1947年 松江市寺町に民芸店「格」を開業(~1952年)。
  • 1948年 松江美術工芸研究所卒業。
  • 1949年 型染絵本「小泉八雲旧居」が国画会奨励賞受賞[1]。
  • この頃より出西窯(島根県出雲市)創設に関与[2]。
  • 1950年 「型染絵花野菜尽六角繋屏風」(安部榮四郎記念館蔵)を制作。
  • 1957年 鳥取民藝美術館に勤務(~1959年)。
  • 1959年 島根新聞社(現山陰中央新報社)に勤務(~1961年)。
  • 1961年 大阪の料亭「吉兆」に勤務(~1966年)。
  • 1966年 玉造温泉「長楽園」に勤務(~1968年)。
  • 1974年 「出雲民藝館」創設に関与。以後、展示を指導。
  • 1975年 画文集「出雲ーヘルンの見た神々の国」(速水保孝共著)を出版。
  • 1976年 画文集「隠岐ー隠岐国新風土記」(速水保孝共著)を出版。
  • 同年    季刊「銀花」に特集「出雲の工人・金津滋とその母ちか女」掲載。
  • 1977年 「山陰の絵絣図帖」を出版。
  • 1996年7月25日 心不全により死去。73歳。

出西窯との関係

出西窯が創業まもなく方向性も定まっていなかった昭和24年晩春、金津は松江美術工芸研究所の同窓であった石村英一、多々納利雄とともに出西窯を訪れた。窯の様子をみた金津は、「美しさも志も感じられん」と言葉を残して帰っていった。数日後、出西窯を再訪した金津は、柳宗悦著『私の念願』と浜田庄司作の急須等を置いていった。その本を読んだ出西窯の多々納弘光は、柳の工芸論に感銘を受け、民藝の考え方による実用の陶器をつくろうと決心する。その後、多々納をはじめとする出西窯のメンバーたちは、金津が仲介となり河井寛次郎と会い、民藝運動の指導者たちに指導を受けたことで、民藝運動に本格的に参加することとなった。[3][4]

参考および関連文献

脚注

外部リンク

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