古くは「楢山」と呼ばれ、山麓の農村が楢山村であったことから、現在の地名の由来になっている。
1602年(慶長7年)、久保田藩主佐竹氏の転封に伴い、佐竹氏の菩提寺である天徳寺が楢山へ移転してくる。1625年(寛永2年)5月に泉山へ再移転するまで、楢山が「天徳寺山」と通称された。
明暦年間(1655年 - 1657年)、角館にあった金照寺が天徳寺跡地に移転し、以来「金照寺山」の名で定着した。この金照寺も1868年(明治元年)に焼失し廃寺となったが、昭和になってから金照寺末寺であった正覚院が跡地へ移転・改称し現在に到る。