釜島

From Wikipedia, the free encyclopedia

座標 北緯34度25分21秒 東経133度49分56秒 / 北緯34.42250度 東経133.83222度 / 34.42250; 133.83222座標: 北緯34度25分21秒 東経133度49分56秒 / 北緯34.42250度 東経133.83222度 / 34.42250; 133.83222
諸島 水島諸島 (児島諸島)
面積 0.40 km2 (0.15 sq mi)[1][2]
釜島
釜島空撮(2019年)
釜島の位置(岡山県内)
釜島
釜島
地理
場所 瀬戸内海水島灘
座標 北緯34度25分21秒 東経133度49分56秒 / 北緯34.42250度 東経133.83222度 / 34.42250; 133.83222座標: 北緯34度25分21秒 東経133度49分56秒 / 北緯34.42250度 東経133.83222度 / 34.42250; 133.83222
諸島 水島諸島 (児島諸島)
面積 0.40 km2 (0.15 sq mi)[1][2]
海岸線 3.2 km (1.99 mi)[1][2]
最高標高 43 m (141 ft)[2]
行政
都道府県 岡山県の旗 岡山県
市町村 倉敷市旗 倉敷市
大字 下津井
人口統計
人口 0(2021年時点)
追加情報
時間帯
テンプレートを表示

釜島(かましま)は岡山県倉敷市下津井[3][4][5][6]に属する無人島である。水島諸島(児島諸島)に属する。かつては有人島であったが、無人島化している。

鷲羽山南側の久須美の鼻の南方約1km沖にある三角形の無人島[7]。面積0.40km2、周囲約3.2km[1][2]。最高標高は43m[注釈 1][2]。島内からは、縄文土器及び弥生土器に加えて、古墳群が発見されており、古くより人が居住していたと考えられる[1]

平安時代中期、釜島には天慶の乱にて藤原純友が都落ちしてきた。藤原純友は釜島に城を構え、天慶2年(939年)2月に官軍大将の藤原倫実の船隊を打ち破ったという記録が『前太平記』にある。島内にはこの際の城跡塩釜神社の跡が残っている[1]江戸時代中の1646年(正保3年)より、岡山藩に所属することとなった[1]。同時代の書物『吉備温故秘録』には、田畑1町8反、家数1軒、男女8人との記録がある。その後も人口の少ない有人島であったが、1906年(明治39年)には、筆海小学校の分教場が設置される[注釈 2][9]第二次世界大戦後に多くの入植者がおり、1955年(昭和30年)に児島市立下津井中学校の分校が設置された[注釈 3][10]1959年(昭和34年)当時の小学校の児童数は14名、へき地等級3級であった[2]。小学校の分校は、浜から200m程度の位置にあった[11]昭和30年代末頃には、夏季の海水浴客を中心に年間で1万人近い来島者がいたという[1]。しかし、その後急速に住人の流出が進み、1970年(昭和45年)に中学校の分校[注釈 4]が休校[10]1972年(昭和47年)に小学校の分校[注釈 5]も休校となった[9]。そして1980年(昭和55年)の国勢調査時点で無人島化している[7]1986年(昭和61年)より、夏季のみ期間営業の民宿茶屋が開かれたが、そちらも後に閉鎖され、現在に至るまで無人のままである[1][7]。また休校となっていた小中学校も、1979年(昭和54年)に小学校の分校が正式に廃校となり[注釈 6][9]、それから10年後の1989年(平成元年)には、中学校の分校も正式に廃校となった[注釈 7][10]。現在は、下電ホテルが島を管理をしている[12]

『日本廃村百選 - ムラはどうなったのか』の著者・浅原昭生は、2008年(平成20年)と2009年(平成21年)に来島し、島内に残る塩釜神社、民宿跡、分校跡を訪れている[13]

福田晴一が監督した『二等兵物語 死んだら神様の巻』(1958年(昭和33年)公開)のロケ地でもあった[1]

島内には海水浴場があるものの、設備は無いため必要な機材は全て持ち込みとなる[7]

交通

島へ渡るためにはチャーター便を利用する必要がある[7]

注釈

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI